ある遺書
いつも読むたび悲しくてしょうがない。
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植村眞久大尉 第一神風特別攻撃隊大和隊
スリガオ海峡付近にて戦死 25歳
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植村眞久大尉 第一神風特別攻撃隊大和隊
スリガオ海峡付近にて戦死 25歳
我が子への遺書
素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私のことをよくお聴きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子という名は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸福ものと思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っているような気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自身の全生涯をかけて只只素子の幸福のみ念じて生き抜いてくださるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護って居ります。優しくて人に可愛がられる人になってください。
お前が大きくなって私の事を考え始めた時に、この便りを読んでもらいなさい。 昭和19年月吉日
植村素子へ
追伸
追伸
素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ます。
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。
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