思った。
エッセイを書くときも、講演会で話すときも、
いつも、どこかにごめんなさいという気持ちがある。
いつも、どこかにごめんなさいという気持ちがある。
だれか傷つくかもしれないと思って。
幸せな話をするときに、それを聞いて「自分は不幸だ」と思う人がいると思って。
子どもが生まれた話で傷つく人がいる。
病気が治ったという話で傷つく人がいる。
親の恩を語れば傷つく人がいる。
悩んでしまった。どうしていいのかわからなくなった。
幸せな話をするときに、それを聞いて「自分は不幸だ」と思う人がいると思って。
子どもが生まれた話で傷つく人がいる。
病気が治ったという話で傷つく人がいる。
親の恩を語れば傷つく人がいる。
悩んでしまった。どうしていいのかわからなくなった。
考えた末に、思った。
人は誰かを傷つけながら生きている。
自分の存在自体が誰かを傷つける。
だれも傷つけないで生きていこうとしても無理なんだ。
人は誰かを傷つけながら生きている。
自分の存在自体が誰かを傷つける。
だれも傷つけないで生きていこうとしても無理なんだ。
じゃあ、どうすればいい?
生きることをやめればいいのか?
書くことをやめればいいのか?
語ることをやめればいいのか?
生きることをやめればいいのか?
書くことをやめればいいのか?
語ることをやめればいいのか?
ちがうと思った。
もしわたしのたいせつな人が、同じ悩みを持っていたとしたら、わたしは「書くことをやめよ、語ることをやめよ」と答えるだろうか。いや、言わない。
人は人を傷つけながら生きている。自分が傷つくことには、人は敏感になっているからわかりやすいけれど、自分が誰かを傷つけていることに気づいたことはいいことだ。
そして、傷つけずにいられないということに気づいたこともいいことだ。もうしょうがない。それは、人がイキモノの命をいただきながら生きていかなくっちゃいけないのと同じくらいアタリマエのことのようだ。
だから思った。
誰かを傷つけるけれど、誰かの傷を癒せるようにしよう。自分が傷つけた人のことを他の誰かが癒してくれるかもしれない。そして、ほかの誰かに傷ついた人を、自分は癒せるかもしれない。
そう思ってこれからも生きていこう。
書いていこう。話していこう。
そう思った。
書いていこう。話していこう。
そう思った。
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