思い出をたくさん
「心の耳かき」第一回目に読まれたエッセイです。
これは、新潟日報の「家族っていいなあ」に連載された第一回目のエッセイでした。
なお、家族っていいなあのエッセイは、日報社からネットに転載する許可を得ていますので、ここに載せちゃいますね。
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1「思い出をたくさん」4/2
これは、新潟日報の「家族っていいなあ」に連載された第一回目のエッセイでした。
なお、家族っていいなあのエッセイは、日報社からネットに転載する許可を得ていますので、ここに載せちゃいますね。
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1「思い出をたくさん」4/2
この四月で娘は高三、息子は中二になる。
いつも抱っこされて、親の腕のなかで眠っていた二人だった。
もちろんいまは一人で眠るが、しかし、その寝顔はまだまだ子どもだ。
「あとどれくらい家族と過ごせるだろうか」と考えたことがある。結婚五年目、娘が四歳、息子はまだ妻のお腹の中にいたときのことだった。
体に異変を感じてはいたが、仕事が忙しいからという憶病な理由をつけて、病院に行くことを拒んでいた。倒れたときには、すでに胆のうが壊れていた。二週間で三回の手術。手術のたびに体が弱っていく気がした。実際、だんだんと動けなくなり、死が近づいている…。そんな感じだった。
そこに不安そうな目で私を見つめている娘がいた。やせ細り、鼻からチューブを出して寝ている姿に驚いたのだろう。
その日は入園式で、保育園のスモックがとてもかわいく似合っていた。 その姿を見ていたら、娘にあげなければならない父の思い出が、まだまだぜんぜん足りていないことに気がついた。仕事で疲れているからと、家に帰ってから娘と距離を置いていたことを悔やんだ。寝顔だけ見て満足していた自分の愚かさに気がついた。
「私には、何がいちばん大切なのだろう」
死を意識してから、やっとアタリマエの答えに気がついた。
幸いにして、その三度目の手術で私は最悪の状態から脱出した。数日後、ベッドから降りた私の周りを「♪おとーさん♪おとーさん」と、歌うように娘がまとわりついてきた。
この子は無条件に私を愛してくれる。どんなに愚かな父であったとしても、この子は私を好きでいてくれる。これからは、この子に父の思い出をあふれるほど残そう。そう心に決めた。
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新潟デビューのエッセイでした。
体に異変を感じてはいたが、仕事が忙しいからという憶病な理由をつけて、病院に行くことを拒んでいた。倒れたときには、すでに胆のうが壊れていた。二週間で三回の手術。手術のたびに体が弱っていく気がした。実際、だんだんと動けなくなり、死が近づいている…。そんな感じだった。
そこに不安そうな目で私を見つめている娘がいた。やせ細り、鼻からチューブを出して寝ている姿に驚いたのだろう。
その日は入園式で、保育園のスモックがとてもかわいく似合っていた。 その姿を見ていたら、娘にあげなければならない父の思い出が、まだまだぜんぜん足りていないことに気がついた。仕事で疲れているからと、家に帰ってから娘と距離を置いていたことを悔やんだ。寝顔だけ見て満足していた自分の愚かさに気がついた。
「私には、何がいちばん大切なのだろう」
死を意識してから、やっとアタリマエの答えに気がついた。
幸いにして、その三度目の手術で私は最悪の状態から脱出した。数日後、ベッドから降りた私の周りを「♪おとーさん♪おとーさん」と、歌うように娘がまとわりついてきた。
この子は無条件に私を愛してくれる。どんなに愚かな父であったとしても、この子は私を好きでいてくれる。これからは、この子に父の思い出をあふれるほど残そう。そう心に決めた。
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新潟デビューのエッセイでした。
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