死後の世界
いまは亡き遠藤周作氏の聖書入門(のような本)を読んだことがあります。
おぼろげな記憶ですが、そこで、死後の世界があるのかどうかという話があって、氏は「あると思っていて損はない」というようなことを書いていたと思います。
もしなかったとしても、「なかった」こと自体にも気づかないだろうし、くやしくもないだろうしというようなことが書いてあったので、なるほどと思ったわけです。
あるかないかわからないけれど、わたし自身はあると思っていたほうが気持ちは楽になれそうです。
でも、あると思えないんです。あるという確信を持てる経験も情報もないから。
でも、あってほしいのです。この世にぜったいというものはあんまりないのかもしれませんが、確実にある「ぜったい」は、わたしたちはいつか、ぜったい、死ぬということ。
眠りにつく前に想像します。死んだらオレはどうなるんだろうって。必ず死ぬのに、死んだ先のことがわからない。どうなるんだろう。必ず通る道。どうなるんだろう。そんなことを保育園のころから考えていました。
お釈迦さまは、死後の世界なんてそんなわからんことを考えずに修業にはげめよというようなことを説いていたそうですけど。
人は必ず死ぬんですねえ。
生きていたって、どうせ死ぬんですねえ。
どうせ死ぬんですけど、人にはなるべく迷惑をかけたくないとか、なるべくわるいことしたくないって思いませんか?
いい人ぶるわけじゃないんですけど、きっと皆さんそう思っているんじゃないでしょうか。
できればいいことしたいな。
人が喜んでくれること、したいなって。
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