脳死の話

 わたしは、ついおとといあたりまで、
 
 「脳死は人の死である」という認識でした。
 十年ほど前、脳死で人工呼吸器に繋がれた人を見たとき、「息をさせられている死体」だと感じたからです。
 
 だから、言葉はわるいですが、「新鮮なうちに臓器を必要とする人に移植するのが世のためではなかろうか」と思っていたのでした。
 
 しかし、それはわたしが三人称の脳死しか想像していなかったからなんですね。
 
 
 柳田邦男さんの「犠牲 我が息子・脳死の11日」を読んでそう思いました。
 
 
 けっして悲しい言葉を選んで書いているわけではないのに、自分の愛する人たちのことが脳死になったことを想像し、気がつくと、せつなくなっているのです。脳が死んでも語りかけてくる肉体。
 
 
 
 
 後書きを読み、「え?」と思って本のカバーをとると・・・わたしは柳田さんのお子様にたいする愛にうたれて、しばらくなにもできなくなったのでした。
 
 

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