昔のことを、思い出していた

 子どものころ、大風が吹くと、よく停電になった。

 そんなときは、雲に隠れて月も出ていないような空だから、まさに真っ暗になる。



 父が、時代劇に出てきるみたいな背の高いロウソク立てを持ってきて、そこに火をつけた。



 ロウの垂れた大きなロウソクが、黒いススを出しながら燃えていた。



 あのころは、停電になるのはよくある話で、そう慌てることもなかった。いまのように電気に依存しっぱなしの生活でもなかったから。



 そうそう、家の電気は点いていても、テレビの放送が入ってことないこともあった。「しばらくお待ちください」という文字と、なにかマンガっぽい絵が出ていた。それでも「まあしかたないな」と思って復旧を待っていた。そんなことも「よくあること」として慣れていた。



 いまは一日中放送しているテレビだけれど、わたしが子どものころは、早起きしすぎるとテレビをつけても放送がなく、テストパターンだけが出ていた。





 BSNは、これ。

 子どものころは猫かと思っていたけど、いま思えば越後獅かなにかだったろうか。この絵を見ながら、画面の濃淡を調整していくのだ。



 当時の新潟は民放がBSNただひとつで、あとNHK総合と教育の合計3つ。

当時はBSNとは言わずチャンネルの数字で「5」と呼ぶことが多かった。



 このあたりの局地的な方言かもしれないが、BSNのことを何度訂正しても「ビー・エスエム」と発音する人が多かったので、教育委員会あたりが、BSNはチャンネルの数字で呼ぶようにと通達してきたのかもしれない(ないない)。



 5チャンネルがBSNで8がNHKの総合、そして12が教育。



 ジャイアント馬場の出ているプロレスが新潟では放送していなくて、どうしてみ見たい人は屋根の上の八木アンテナの向きを三国山脈方面に向けていた。そうすると、ジャイアント馬場が出ているプロレスが映るというのだ。



 しかし、そのままだと地元の放送が映らなくなってしまうのでプロレスが終わったらまたアンテナを中継所のある弥彦山に向けるのだ。なかなかマメなことをしていた。





 少し寂しく感じる秋の夜に、子どものころのことを思い出し、つらつらと書いてみた。



 

uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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