彼の銀メダル

 ずいぶんと前の話になります。今は高校三年生の彼が、まだ小学二年生のときですから。
 
 全日本テコンドージュニア選手権の決勝戦を一時間後に控えながら、彼は体育館の鉄の扉に左足をひっかけて、親指の爪をはいでしまったのでした。


 当時、ジュニア部のコーチをしていたわたしは、泣き叫ぶ彼を抱いて医務室に走りながら、もう試合は無理だなと思ったのでした。
 
 足のボクシングとも言われているテコンドーです。その肝心な足を怪我してしまっては戦えるものではありません。


 こうなったらしょうがありません。とりあえず、決勝戦のコートに立つだけ立って、相手が攻撃してくる前にタオルを投げて棄権させようと思いました。姑息な手段かもしれませんが、せっかくここまでがんばってきたのですから、決勝のコートにだけは立たせたかったのです。


 足が痛くて痛くて、コートにすら入れないと泣きじゃくっていた彼をやっとなだめて、選手コーナーの椅子に座らせました。
 
 そして、彼のちいさな頭にヘッドギアをつけながら言いました。


 「始まったらすぐにタオルを投げるからな。それまで逃げてろ」と。さっきまで泣いていた彼は、わたしの言葉を黙って聞いていました。
 
 彼の背中に手をあてて、「わかったか?」と聞いたわたしに、彼はゆっくりとふりむいて、こう言いました。


 「あのね、ボクね、なんだががんばれそうな気がしてきたの。だから、タオルは投げないでね」と。


 予想外の言葉にわたしは戸惑いました。
 「そんなこといったって、その足じゃ無理だよ」とわたしは言ったのですが「ううん、だいじょうぶだから。がんばるから」と言うのです。真剣な彼の目を見て、わたしは「よし」と答えました。そして「ぜったい勝とうぜ」と言って彼の頭に手を置きました。
 
 「チョン! ホン!」選手はコートへ入るようにという審判の声です。


 彼はゆっくりとコートの中央に歩いていきました。
 「シ・ジャ!」試合開始。


 大人でも我慢できない怪我をしているのに、彼は果敢に攻めました。軸になる左足が痛くても、必死に右の蹴りを出しながら、突進してくる相手にカウンターを決めようと、爪のはげた左の前蹴りを出しながら彼は戦いました。ついには止血した左足の包帯から血が滲み出してきても、それでも彼は前に進みます。
 
 わたしはタオルを握ったまま、「どうか最後まで戦えますように。どうか無事に戻ってきますように」と、そればかりを祈っていました。
 
 試合終了のブザーが鳴り、足を引きずりながら戻ってきたちいさな英雄は、わたしに抱っこされたとたん、それまで我慢してきた分をぜんぶ吐きだすように、大きな声で泣いてしまいました。
 
 表彰式で彼の首にかけられた栄光のメダルは、彼が堂々と戦って手に入れた、光り輝く銀メダルでした。

 

uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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