ときにわたしは
「ときにわたしは」・・・前書き
こうやってモノを書いているとき、わたしはいつもいつも戦っている。
わたし自身が、わたしのことを責めている。
「ダメだダメだ、オマエの書いたモノなんてつまらんものだ。迷惑だ。消えろ」と嘲るわたしの中の声と戦っている。
その声に、わたしは
「だまれ」と、言う。ちいさな声で言う。
「だまれ」と、言う。ちいさな声で言う。
「嫌うやつは嫌え。オレはオレを嫌うやつに好かれようと思って書いているんじゃない。オレは、オレの書いたものを待っていてくれた人のために書くんだ・・・」と、消え入りそうな声で言う。
これでいい。これでいいのだと、わたしは思う。
わたしの書いたものはこれでいい。
わたしの書いたものはこれでいい。
そう、いいのだ。これでいいのだ。わたしはまちがっていないのだ。
しかし、どこかで信じきれない自分がいる。
「いいのか? これでいいのか?」・・・と、どこかで信じきれない自分がいる。
ひとりよがりじゃないのか。自分に酔っているのじゃないのかと、自分を信じていたいけれど、・・・どこかで、信じきれない自分がいる。
そして、「オマエは、ダメだ!」と言うわたしがいる。
その声に負け、すべてを放り出して、逃げ出したい自分がいる。
ときにわたしは、理詰めのまっとうな正論よりも、ただうなずいてもらいたいときがある。
長い言葉はいらない。諭されなくていい。
ただ、「それでいいよ」と、うなずいてもらえたら、わたしはまたこの先を進んでいくことができる。
新しい本・・・前書き
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