許されて、親

 18日に新津学習館でお話させていただきました。「ゆっくりママになろう」講座の三回目でした。
 
 
 お話しが終わり質問タイム。
 
 そのときに、「今日朗読した許されて、親」のエッセイを書き写したい・・・というご要望をいただきました。
 
 それはとてもうれしことですが、でも、短い時間の間に書き写すには時間が足らないと思いましたので、不本意ながら「本を買っていただければ・・・」と答えてしまいました。
 
 
 いま、ここにアップしますね。
 
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★☆「許されて、親」
 
 
 あの日に戻りたいと思うことがよくあります。


 残念ながら、それは幸せな場面ではありません。もう一度、あの日のあのシーンからやり直したいという、ちょっとせつない思いからです。


 そこに出てくるのは、わたしに叱られて泣いている幼いわが子たちです。どうしてあんな怒りかたをしたんだろう、どうしてもっと優しく諭せなかったのだろう、どうして感情に任せてわざと泣かせてしまったのだろうと、その日の子どもたちの悲しい泣き顔を、思い出しては悔やみます。

 
 ほんとにとてもいい子なのに、幼いわが子たちは、自分がわるい子だからわたしに怒られていると信じて疑わず「ごめんなさい。いい子になるからごめんなさい」とずっと謝っていました。

 
 「信念を持って子育てをしているならば、子どもを泣かしたからといっていちいち気にすることはないはずだ」と言った人がいました。たしかにそうかもしれません。自信を持って叱るのならば、後味もわるくないことでしょう。でも、そんな自信は、いつになっても持てませんでした。

 
 「おまえのためだ」と言いながら、じつは自分のために怒っていたことに気づいたときの情けなさ。そんな場面を思い出すだけで、わたしは今も激しい後悔をおぼえます。子どもを抱っこして、「ごめんな。おとうさんが怒りすぎた」と謝れば、いつだって子どもたちは「平気だよ」と言って、幾筋もの涙のあとをつけたほっぺを、わたしの胸にくっつけるのでした。

 
 「わたしは、まちがうたびに謝まって、そのつど子どもたちに許されて親をやってきました」と言ってくれた人がいました。それを聞いて、ほっとしました。わたしも、「許されて親」をやればいいのだなと思えて、気持ちが楽になりました。

 
 その後も、なんどか愚かなことをしてしまい、そのたび「ごめん」と謝り許されて親をやってきました。寛大な子どもたちに甘えすぎてはいけませんが、これからも「ごめん」を言い続け、ときには悔やみながら親をやっていくことでしょう。
 
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uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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