被災地:ひとつ
紅白歌合戦で長渕剛が歌った「ひとつ」
あの映像を見ていてすぐにわかりました。
あそこは石巻の門脇小学校です。
画像はyoutubeよりいただきました。
***********************
石巻に入り、気がつけば門脇小学校についていました。
「なんだこれは、なんだこれは」と、つぶやいていたわたしでした。
取材を進めるにつれ、自分を責める気持ちが強くなっていき、そして、この本は、もうやめようかと思いました。
書きかけのエッセイがあります。
読んでくれますか。
*****************
~~略~~
そのとき、バリバリと音をたて、海から黒いカタマリがやってきた。津波だ。
壊れた家やその瓦礫がカタマリになってやってきた。その場に止まっているのは危険な状況と判断された。車から出られないでいる人がいたので、引っ張りだし逃げる手助けをして、そのあと学校に向かって走った。
停めてあったたくさんの車も浮かびあがり、ガツガツとぶつかったまま校舎に向かっていく。
近くで爆発音がして、火柱があがった。
車から出た火花が、漏れたガソリンに引火した。
体育館に逃げるが、すぐに腰のあたりまで水がきた。そこは比較的高いところにあるというのに、もうそんな状態だ。
「恐い」とは思っていなかった。ただ無我夢中で「どうやってみんなを助け出すか」ということ。そして「どうやって自分は生き延びるか」と、それだけを考えていた。
その体育館で、右足が腿のあたりから千切れてしまった婦人を救助した。駐車場から脱出するとき、津波で浮いて揺れる車と瓦礫に足をはさまれてしまったらしい。濱谷さんたちは、彼女の止血のために、自分の防火服のベルトを抜いた。そしてそれをしっかりと彼女の足に結び、抱きかかえて逃げた。
学校の裏山に避難しようと思った。しかし、学校の壁と裏山の石垣まで、距離は1メートルほどなのだが、高さは3、4メートルある。とてもよじ登ることなどできない。
その左のほうにやや低くなっている場所があり、そこまでまわり道をし、竹に伝わり這いあがった。負傷した女性を安全な施設に避難させ、濱谷さんたちはまた救助のために戻った。
すでに、学校に火が燃え移っていた。降っている雪が炎に照らされ赤く光っている。
石垣の上に教壇が二つあったのを見つけた。誰かが学校の窓から石垣に向けて投げ込んでくれていたようだ。
それを蹴落として石垣を登るための階段にした。あたりにいる元気な人を呼び集め、学校から逃げてくる人のお尻を下から押す役と、その手を上から引っ張りあげる人との連携プレーで安全な石垣の上に避難させた。
石垣の上にあがったところで力尽き、自力では上の避難場所まで逃げることができない人がいる。濱谷さんたちは、そんな人たちを背負って石の階段を何回も往復した。
瓦礫の上で救助を求める人の声がした。火はどんどん広がっている。またいつ爆発が起るかわからない状況での救助活動だ。瓦礫の中にも人がいるだろうとは想像できた。しかし、どうにもならない。時間がない。助けきれない無念。
生徒たちは地震発生後に全員避難できていた。校舎の中に遺体はなく、そこにいた人は、全員避難できたと思われた。
しかし、駐車場で車に入ったままの人たちや、瓦礫の下になった人たちを助けられなかったことで自分を苦しめる。
しかし、駐車場で車に入ったままの人たちや、瓦礫の下になった人たちを助けられなかったことで自分を苦しめる。
その後、濱谷さんたち消防団員は、避難所で生活しながら3月いっぱいまで集中警備と救助活動と遺体捜索を続けた・・・・・・
********************
いまわたしが「仕事」としてこういうものを書いています。
ときに心せつなくなりますが、しっかりと完成させたいです。
紅白の様子です
終了後の現地の様子がアップされていました。
0コメント