消防団の本を書く
祭りの夜、かーんかーんとゆっくりとしたリズムで鐘を鳴らし、地元消防団の車が巡回している。ご苦労さん。
後ろから
「お祭りの夜に見まわりなんてたいへんね」という声がした。子どもと手をつないだ若いお母さんだった。
「お祭りの夜に見まわりなんてたいへんね」という声がした。子どもと手をつないだ若いお母さんだった。
それを聞いてわたしはうれしくて「ありがとうございます」と言おうと思った。消防団のことをほめてくれてありがとうと。
しかし、その直後に彼女のご主人とおぼしき人の声に、言葉が止まった。
「あいつらこれから宴会さ。手当をたっぷりもらっているからな。そのまえに、ちょっとばかり見まわりの真似ごとをしているのさ」
「まあ、そうなの?」
「ああ、だって消防団だぜ。いまどきどの町にも消防署があるんだから、あんな消防団なんていらねえだろ。酒飲んで遊んでいたいからあるだけの組織さ。あんなところこそ、事業仕分けでなくしてもらえばいいんだよ」
「ひどいのねー。ほめて損したわ」
「あいつらこれから宴会さ。手当をたっぷりもらっているからな。そのまえに、ちょっとばかり見まわりの真似ごとをしているのさ」
「まあ、そうなの?」
「ああ、だって消防団だぜ。いまどきどの町にも消防署があるんだから、あんな消防団なんていらねえだろ。酒飲んで遊んでいたいからあるだけの組織さ。あんなところこそ、事業仕分けでなくしてもらえばいいんだよ」
「ひどいのねー。ほめて損したわ」
それを聞いたときの情けなさ。どうしてそんなふうにしか思われないんだろうと悲しくなり、わたしは思わず振り向いて言ってしまった。
「彼らは夜警が終われば宴会なんてしないで家に帰るんです。一刻も早く帰りたいんです。家族が待っているんです」と。
「彼らは夜警が終われば宴会なんてしないで家に帰るんです。一刻も早く帰りたいんです。家族が待っているんです」と。
とつぜんのわたしの言葉に
「なんだこのオヤジは」という顔でわたしを見る夫婦。
「なんだこのオヤジは」という顔でわたしを見る夫婦。
あの車に乗って見まわりをしていた団員たちにだって、家に帰れば家族がある。ほんとうは子どもの手を引いて、いっしょにお祭りにいきたかった。しかし、消防団という役目があるから我慢している。それなのに、こんなふうに言われている彼らがせつない。
家に帰るころは、もう子どもたちは眠っていることだろう。その寝顔を見ながら、「お祭りなのにゴメンな」と、遊んであげられなかったことを謝るにちがいない彼ら。
わたしは、夜警に回っている若い団員たちに向かって「ごめんな」と謝まりたかった。キミたちが一生懸命にがんばっているのに、世間の人たちにはこんな誤解をさせたままでごめんなと。みんなオレたちがわるいんだ。こんなふうに誤解させてしまったオレたちがわるいんだ。
どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
たしかに消防団は酒を飲むこともあるし宴会にコンパニオンだって呼ぶこともある。ときに、それが叩かれる。公費を使って酒を飲んでいるロクデナシだの、宴会でタクシーに乗るのはケシカランだのと。
たしかに消防団は酒を飲むこともあるし宴会にコンパニオンだって呼ぶこともある。ときに、それが叩かれる。公費を使って酒を飲んでいるロクデナシだの、宴会でタクシーに乗るのはケシカランだのと。
しかし、開き直るわけではないが、自分たちが働いて手当としていただいたお金で年に何度か酒を飲んではいけないのか、自分たちがもらったお金でタクシーに乗ったら非難されなければいけないのか。
消防団というだけでバカにされる。なにもしないで酒ばかり飲んでいる不良集団と言われてしまう。
最低で破廉恥な人間としてレッテルを貼られるオレたち消防団。
最低で破廉恥な人間としてレッテルを貼られるオレたち消防団。
そんなことなら、いっそ廃止しちまえばいい。そこまで言われて、オレたちは消防団なんてやっていられない・・・とさえ思ってしまう。
しかし、なくしちゃいけない。この街から消防団がなくなってしまってはいけないことを、わたしは団員として自覚している。
だから、わたしは消防団の本を書く。本当の消防団の姿を世間に知らせるため、そして団員が団員であることに万が一にでも肩身を狭くすることがないように、消防団員になったことを胸を張って言えるように、本を書く。
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