しあわせになあれ
わ:シリーズ
「幸せになあれ」
妻は、妊娠を知ったときから、自分の体のなかで始まっている命の成長を自覚して、早々と母としての心構えを築いていったようでした。
かたやわたしのほうは、うれしさのわりには父になるという実感がいまひとつわからず、なかなか戸惑ったものでした。
頭の中では妻のお腹の中に我が分身が育っているということを理解しつつも、じつはよくわかっていないというのが、正直なところでした。
けっきょくわたしが本当の親になったのは、娘の「オギャア」という泣き声を聞いてからのようです。妊娠したときからずっと親をやっていた妻よりも、スタートが十月十日(とつきとおか)も遅れているのです。
始めて娘を抱かせてもらったときは、たいへんでした。「はい」と渡されたのはいいけれど、ずっしりとした重さを想像していたのに、わが子のあまりの軽さに、危うく後ろにひっくり返るところでした。
それから落とさぬように力を入れて、でも、壊さぬように力を抜いて、もうどうやって抱いたらいいのかわからなくなって妻のところに慌てて戻したものです。
そんな姿をクスッと笑い、妻はわたしから娘を受けとりました。そして、その姿は、もうずっと前から母をやっているような風格がありました。
生まれたばかりの娘は、とても頼りなく思えました。華奢な首、細い腕、ちいさな手。すべてをオトナに委ね、まだ一人では生きていけないその命。「よし、この子をずっと守っていこう」と誓いました。そして、娘のホッペをさわりながら「幸せになるんだよ」と言いました。
この娘(こ)のこの先予定されている苦しみや悲しみがあるのならば、できることなら、それをわたしに全部くださいと、神さまに祈りました。
その娘もいまは立派なおとなです。もうわたしがいなくても一人で歩いていけるのですが、それでもそっと後ろに手を添えていたいと思うのです。気づかれないように、そぉっとそぉっと。倒れぬように、そぉっとそぉっと。
そして、「幸せになるんだよ」と、いつも祈っていたいのです。
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