風立ちぬ
わ:シリーズ BSNふるさと散歩より
「風立ちぬ」
今日はだれにも会う予定がありません。そして、これといって急ぐ仕事もありません。
窓の外は、いつ降るかわからない梅雨の曇り空です。
そんなときわたしは、ときに憂鬱な気分になってしまいます。そして、「今日はもうなにもしたくない」と思いはじめると、本当になにもできなくなってしまうのです。
朝ごはんが終わってもパジャマのままです。家族のみんなが会社や学校に出かけていったのに、わたしはまだ顔も洗ってないのです。
二階の書斎の窓からボーッと外を眺めます。「ああ、人生ってなんだろうな。わかんないうちにだいぶ過ぎちゃったな」なんて、考えなくてもいいことを考えていましたら、外に見える木々がゆらゆら風に揺れはじめました。
そのときふと、「風立ちぬ・・・」という言葉が浮かんできたのです。
「風立ちぬ」と聞いて、松田聖子さんの歌を思い浮かべる人も多いかと思いますが、今回わたしの脳裏に浮かんだものは堀辰雄の小説「風立ちぬ」のほうでした。
堀辰雄の「風立ちぬ」は、彼自身がフランスの作家ポール・ヴァレリイの詩「海辺の墓地」を文語調に翻訳し、その中から「風立ちぬ、いざ生きめやも」の部分を小説のタイトルに用いたのでありました。
・・・とまあ、いつもならばこんな感じで「ずっと前から知っていたよ」というふうに書くのですが、気弱な今日はそうは書けません。じつは最近知って、いつかエッセイのネタにでもなるかと思ってメモしていたものでした。
風立ちぬ、いざ生きめやも・・・。
「気がつけば、わたしのまわりに風が吹いてきた。
それはどこか心を不安にさせるざわめきでもあるけれど、ああ、それでも気持ちは奮いたつ。
それはどこか心を不安にさせるざわめきでもあるけれど、ああ、それでも気持ちは奮いたつ。
生きよう。
とにかく生きよう。カッコよくなくてもいいから、自分を嫌いにならずに生き続けよう」と、わたしの中の気弱な心が、ちいさな声で言いました。
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