わかったこと
わシリーズ
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「わかったこと」
あなたは死にかけたことがあるだろうか。
わたしは、ある。
わたしは、ある。
娘が4歳、息子はまだ妻のお腹の中にいたときである。
ときどき食後に痛みを感じてはいたが、レントゲンをみた限り潰瘍もないし、神経性の胃炎だろうと、かかりつけの医者にいわれていた。そんなわけで「オレってナイーブだから胃が痛むんだよね」と納得していた。
ときどき食後に痛みを感じてはいたが、レントゲンをみた限り潰瘍もないし、神経性の胃炎だろうと、かかりつけの医者にいわれていた。そんなわけで「オレってナイーブだから胃が痛むんだよね」と納得していた。
その後は、時間の無駄だからと医者にもいかず、痛むときには「神経性、神経性」と呪文を唱え、売薬の痛みどめを飲んでいた。
しかし、どんどん痩せてくる。妻は大きな病院で検査をすすめてくれたが、当時はまだ勤め人のころで、オレが休めば仕事が止るなんていう思い違いをしていたときだ。
そして、ある日、倒れた。
横断歩道で青信号になるのを待っていたときに、痛みで動けなくなり病院に運ばれた。
「胃なんかじゃないよ。胆のうがメチャクチャになってる」と医者にいわれて入院の二日後に手術。
その一週間後に腹膜炎を併発し再手術。気がつけば、体じゅうにチューブが走り身動きできない体になっていた。
薄暗い個室の中でビニール臭い酸素を吸っていた。目覚めるたびに衰弱していき、そしてふと気づいた。
「オレは死につつあるようだ」と。人はだれでも死ぬということはわかるけれども、自分も例外ではないこともわかるけれども、ダメだダメだダメだ、いま死んじゃ無念すぎる。そして三度目の手術は、それから四日後の朝だった。
目覚めたら、かたわらに妻がいた。そのとなりに、入園式を終え保育園のスモックを着た娘が立っていた。
二人で、「おとーさん」とちいさな声で呼んでくれた。
「最悪な事態は、これで避けられたんだって」という、妻の声が震えていた。
あのとき、わたしにはなにがたいせつかが、わかったつもりなのだ。
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