あの時代
ぜんぜん関係ないファイルを探していたのだけれど、ハードディスクのすみっこでみつけた一文。
エッセイストとして、まだ世に出ていなかったころのだな。
いま読み返して、懐かしかった。
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名前を呼ばれて、息子は控え選手の椅子からふらりと立ちあがった。
セコンドのわたしが「いってこい!」と背中を叩いて送りだすと、息子はふりむきもせずに歩いていった。
反対側の観客席にいる妻の心配そうな顔が見えた。
対戦相手を見たときに、わたしは息子に負けたときの慰めの言葉を考えていた。「あんなに大きい子なんだもの、しょうがないさ」と。
空手道場に入門して十ヶ月。小学校一年の息子が経験する三度目の公式試合である。過去の二度は一回戦で負けていた。・・・残念ながら、うちの息子は弱い。
三十二才のときにわたしは脱サラして先祖代々の畑を耕す百姓になった。
いや、脱サラなどというと聞こえはいいが、じつは十年勤めた職場を「鬱な気分」という理由で逃げだしただけなのだ。
しかもクワを持って畑に出たのはいいが、ミミズとアオムシを見て逃げまわっているというテイタラク。
しかしまあ、ミミズやアオムシは恐かったけれども、人を相手にしなくていいぶん気楽な仕事だった。労力のわりには収入が少なく、もういちど勤め人に戻らなければならぬかとも思ったけれど、タイミングよく(?)バブルが弾け、職安は人であふれてしまった。それを理由に百姓のまま生きていこうと思った。
月収四万。ミミズとアオムシと低収入にあえぐわたしに、女房は子育てを提案した。
アナタが稼げるようになるまで、わたしは栄養士の仕事に専念するから、それまで育児をヨロシクねという。
それは申しわけなくもありがたい話だけれど、しかしまて、わたしのような人間に子育てができるのであろうか。人の命は地球よりも重いと誰かがいったけれど、わたしはそんなに力持ちじゃない。子供を立派な人間にするためには親も立派にならなくてはいけないのじゃないのか。いわれる前にいうけれど、わたしはロクデナシなのだ。
しかし、当時まだ一歳に満たない息子はわたしを忙殺させ悩ませるヒマなど与えてくれなかった。寝ているとき以外は激しく動き回り、泣いて笑って食べてウンチするのだ。
天気のいい日は、二人いっしょに畑で暮らした。息子は幼いころからミミズやアオムシ、菜の花やダイコンに囲まれて育った。管理された自然の畑は、総じて息子に優しかった。極端な苦しみや悲しみを与えることはなかった。保育園にいくようになってからも、家に帰れば畑に連れてこられて、虫や花を相手に遊んだ。親がロクデナシでも、息子は勝手に育っていった。
アマガエルと遊ぶ息子の後ろ姿を見ながら、ある日、ふと思った。こんな暮らしを続けていると、息子は温室育ちの野性児になってしまうのではなかろうか。まわりにあるもの、すべてが息子に優しすぎるのではないだろうか。厳しさを知らないまま成長すれば、きっとわたしのようなロクデナシなってしまう。息子はまだ更正の道があるのだと思って、空手道場に入門させた。
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長くなるので、つづく。
写真は1年生のものじゃなく、たぶん3年生くらいかな。
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