背中にぬくもり
わシリーズ:エッセイ
「背中にぬくもり」
風呂あがり、当時小学生低学年の息子と二人、ベッドでゴロゴロしていたときのことだ。
「学校で習ったんだよ」と、息子がことわざを披露してくれた。
「獅子の子落し」・・・ 獅子は子を生むと、これを千仞の谷に投げ込み這いあがってきたものだけを育てるという、有名なあれである。
「ボクはね、獅子じゃなくてよかったよ。高いとこから落としたら、ふつうは死ぬよ。だいたいね、強い子だけ育てるなんて、イケナイことだよ」
「うーん、そうだなあ、ちょっと乱暴かもなあ」と返事はしておいたが、わたくし、じつはべつなふうにと思っている。
きっと、お父さんライオンも、お母さんライオンも、いっしょになんども谷の下見をして、険しいけれど、がんばればきっと這いあがれる谷をさがすんだ。いくら百獣の王だって、這いあがれないかもしれない谷に落とせる親なんて、そうそういるわけはないよ。
そして、谷底に落ちた子どもライオンの後ろにまわり、こっそり背中に手を添えているのさ。まんがいち子どもが足を滑らせて危険な目に遭っても、すぐに手を差しのべられるようにね。それは、子どもに気がつかれないように、そっとそっと添えているんだ。
その手は、子どもが生きているあいだ、ずっと添えているんだと思うよ。どんなに細くなっても、キズだらけになっても、もしかしたら、子どもが大きくなってしまって、それを支えきれないほど弱っているのかもしれないけれど、それでも添えずにはいられないんだと思うな。
そう思うようになったのは、オマエたちが生まれてからだけれど。
お父さんのお父さんも、お父さんのお母さんも、お父さんの背中にこっそり手を添えていてくれているのがわかったのさ。こんに大きくなったお父さんの背中にね。
たとえ、親が死んでしまったって、きっと、手のぬくもりは残っている。
もし、お父さんが死んでしまったとしても、おまえがいるかぎり、おまえの背中にはぬくもりがあるはずだから、安心していいよ。
いつのまにか眠ってしまった息子の背中に手を添えて、心の中に語りかけた。
ついでに
「親の恩なんて、まだ気づかなくてもいいよ」って、言った。
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