ぬくもり
わシリーズ:ぬくもり
親にはずいぶん心配かけてきた。
幼いころはとくべつ体が弱く、しょっちゅう父の自転車に乗せられ、お医者さんに連れていかれた。ホントは苦手なお医者さんだが「いい子にしてたらバナナを買ってやる」と言われ、それが欲しさについてった。当時のバナナはとても高価で、病気にならないと食べさせてもらえない果物だった。
帰り道、バナナを頬ばりながら「とうちゃんはいらないの?」と、いつも父に聞いていた。子ども心にも自分ばかり食べていることに気がひけていた。そのたびに「とうちゃんはバナナがきらいだ」と言われ、安心して食べた。
やせがまんをしなければいけない時代だった。父には、自分のバナナを買うお金の余裕はなかった。
その後も成長するにつれ、何度も病気やケガを経験し、いろいろ迷惑をかけてきた。そして三十歳を過ぎたとき、ついに死を覚悟する病気を患った。
二週間のあいだに三度の開腹手術。
その三度目は、「このままでは危険です」と、先生が朝の回診にきて決まった緊急の手術だった。
そのとき、そばにいたのが母だった。体にチューブと点滴の針がいっぱいついていて、身動きできないわたしのために、母と妻が交代で泊まってくれていた。
じつは、その手術をわたしは拒否をした。
もういやだ。もう手術室にいきたいくない。もう体を切られたくない。
そう言って、拒否をした。
それを聞いて母が怒った。
「なにバカなこと言ってる! ここで死んでどうする」とわたしを叱った。
母に叱られ、しぶしぶ承知した。
母は不自由な足を引きずりながら、ストレッチャーで運ばれるわたしの横をついてきた。
エレベーターの扉が開いてわたしの体が中に入ると、母は精いっぱい体を折って「よろしくお願いします」とナースに言った。
そしてわたしに「がんばれ」と言った。
その「がんばれ」の声に、わたしは「がんばる」と応えなかった。ひどい言葉で返した。悪タレ息子。そして、わたしを載せたエレベーターの扉が閉った。
そのあとのことは、その場所にいた人から聞いた。
エレベーターの扉の閉じたそのとたん、母は泣いたという。
堪えきれず、人目もはばからず、顔をおさえて声を出して泣いたという。
手術を拒否したわたしの気持ちがわかって、それでかわいそうでたまらなく、泣いたという。
申しわけないことをした。
もし、緊急手術を告げられたその場所に、妻や子どもがいたのなら、わたしは夫として父としてもっと気丈にふるまっていたことだろう。
しかし、そこにいたのは母だけだった。だから、なにも演じることなく、「もう手術なんてしたくない」と、気弱なわたしの本性を見せていた。
あれから二十数年、父も母も更に老いた。父は要介護の生活、母もすっかり腰が曲がった。
それでもきっと父と母は、自分のこと以上にわたしのことを気にかけている。それは、自分がどんなふうになっても父と母はわたしの親だから。
親になってわかった。わたしは父と母を越えられない。たとえ、経済力や知名度で上回ることがあったとしても、それでも親を越えられない。いつまでたっても父と母の子ども。弱虫な息子のままだ。
「これからもずっと元気でいてください」と、両親に面と向かって言うのはまだ恥ずかしく、こっそりここで言っておく。
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