藤田市男という人
仏壇のある座敷に写真が4枚。
婆ちゃんは知ってる。高校一年のときまでいっしょに暮らしたもの。
あとの三人も知っているけど、見たことない。
じいちゃんと、オジチャンが二人。
じいちゃんは、わたしの生まれるちょうど二ヶ月前の四月十六日に死んだ。孫の誕生を楽しみにしていたそうだが、農作業場で倒れた。脳梗塞だと思う。
オジチャンたちは、太平洋戦争で死んだ。二十代だった。
藤田家の長男と次男だ。
長男は陸軍、次男は海軍。
どこで死んだのかは、長男のほうは戦友から話を聞いているので知っているけど、次男のほうは、まるで知らない。
どこかの海で船を沈められて死んだんだ。戦友たちも、みんなまとめて死んじゃったのかもしれない。
やだな、戦争。でも、好きでやっていたわけじゃないだろうし。・・・なんて話は、とりあえずやめとこ。
いま書きたいことは、死んだオジチャン(長男)のことだもの。
その人の名は「藤田市男」という。
そう、わたしと同じ。いや、もちろんあちらが元祖。
わたしの名前は、その人からもらった。
死んだばあちゃんが、わたしが生まれたときに「いちおという名前にしてくれ」と両親に頼んだそうだ。「死んだ人の名前をもらうと丈夫になるそうだから」と言って。だからわたしの名前はちょっと古めかしい。大正生まれの人の名前だから。
子供のころから、藤田市男の写真を見ていた。
りりしい顔している。近衛兵だったそうだ。皇居にお勤めもしていたのかな。
同じ名前ゆえ、どこかライバル視しているわたしがいる。憧れと競争心と。
気がついたら、わたしのほうがずっと年上だ。
元祖藤田市男の倍以上生きている。
アナタの経験できなかった歳になっています。
わたしのオヤジはわが家の末っ子。
だから戦争にもいかずにすんだし、生きていられた。
そしてオヤジが我が家の跡を継ぎ、そして母と結婚した。
翌年生まれた男の子はひと月で肺炎で亡くなり、4年後にわたしが生まれた。
多くの悲しい出来事と、いろんな偶然が混ざりあって、わたしがこの世に出てくることができた。
0コメント