ちいさな子のよう

 犬のあずきを見ていて、そう思う。

 ちいさな子のようだなって。



 うちの子も、ちいさなときはあずきみたいだった。

 あずきみたいに、わたしがそばにいると喜んだし、おんなじ遊びをずっとやってもらいたがった。





 あずきはいま、わたしに骨のオモチャを投げてもらって喜んでいる。

 それを咥えてわたしのところに持ってくる。



 それをわたしにくれるのかと思うと、くれない。





 「こんどはオモチャを取りあいっこして遊ぼう」って言ってる。

 だから、あずきを相手に骨のオモチャの取りあいっこする。



 あずきなりに、わたしには怪我をさせないよう配慮はしているようだが、ときどき爪が当たってしまって痛い。犬は猫みたいに爪を引っ込められないからしょうがないのだろうが。





 そんなとき「痛い!」と言うと「あ、ごめんなさい」と言うように、わたしの手をペロペロなめる。「ごめんなさいごめんなさい」ってなめる。



 わたしはその単純な遊びにすぐ飽きてしまう。

 「じゃあまたな」と言ってあずきのそばを離れると、それまで必死に口にオモチャの骨を咥えていたのに、「えっ、やめるの?」と言うように、口を開けてポロッと落とす。



 骨のオモチャが好きなんじゃなくて、わたしと遊ぶのが好きなんだ、あずきは。



 単純な遊びに飽きない。いつまでもやりたがる。ちいさな子と同じ。





 あずきを見ていて反省をする。

 前に飼っていた黒色の「ハチ」と、もっと遊んでやればよかったなと思う。散歩も遠くまで連れていってあげればよかったと思う。



 さらに、そのまえに飼った犬のことも思い出す。



 もっともっとそばにいられたのにと反省する。

 寂しい想いをさせたろうなと反省する。





 あずきといると、子どもたちのことも、同じように反省する。

 「おとーさん、おとーさん♪」と歌うようにまとわりついてきた時代を思い出し、あのとき、もっともっと遊んでやればよかったなと思う。その時代はもう戻らない。

 

 だから、あずきといる。

 いろんな犬のこと、子どもたちとのこと、思い出しながら、あずきと歩く。



 あずきは、この先もずっとちいさな子みたいに、わたしがそばにいると嬉しがってくれると思う。




uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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