助けてやらなくて

 犬はきっと、飼い主がちょっとした気まぐれで遊んでくれたことさえ覚えているんだ。



 大好きな人が自分と遊んでくれたことを、いつまでも忘れないし、自分を気まぐれで抱っこしてくれたことを覚えているし、おいしいオヤツをくれたことを覚えているし、少しのあいだでも愛してくれたことを覚えているんだ。

 



 犬は飼い主のことが、世界でいちばん好きなんだ。

 怒られるのは自分がわるい子だからと思って、ごめんなさいごめんなさいと謝まっているんじゃないかな。



 怒られてばかりでも、飼い主がそばにきてくれると、また遊んでもらえるんだと思って、嬉しくってシッポが動くんだ。



 飼い主が相手せずに自分の前を通りすぎていっても、その後ろ姿を見送りながらも、シッポが動く。だって、大好きだから。





 たとえ、その飼い主が、自分を捨てるようなひどい人間であっても、その人のことがいちばん好きなんだ。



 飼い主に捨てられてしまった犬たちがいる。

 いや、捨てられたなんてこと、ちっとも思ってないんだろう。迎えにきてくれることをなんの疑いもなく信じて待っているんだろう。





 犬の里親を探すホームページを見ていると、保健所収容の犬もたくさん出ている。



 その中に赤い字で「明日処分されます」と書かれている犬がいる。

 だから、だれか引き取ってくれる人はいませんかという、せつない問いかけが載っている。



 それを読むわたしは、かわいそうだなと思う。でも、引き取らない。



 飼えないからじゃない、飼おうと思えば飼えるんだろうけど、何匹もいらないから、もう飼わない。



 助けられる命を助けない自分の後ろめたさがある。だって、飼えるのに飼わないだもの。



 だからこんなこと書かずに黙っていたほうがいいのかとも思った。偽善者と思われたら不愉快だし。



 でも、犬を捨てるようなひどいヤツのために、自分が萎縮してしまってどうするって思った。





 明日になれば、その犬は処分されるのだ。



 処分されるというのは、その犬は殺されるということなのだ。



 いまこうやってせつなそうにブログを書いていても、わたしは明日になれば笑っていられる。うまいもの食って喜んでいられる。酒呑んでクダまいていられる。



 でも、その犬は、明日、殺される。







 家の人は、まだボクを迎えにきてくれません。

 早くきてくれないかな。



 ボクはわるい子だったから、叱られているんです。

 ごめんなさいごめんなさい、いい子になるからごめんなさい・・・



 自分はなんにもわるくないのに、人間の都合で殺されるのに、自分をわるい子だと思って、二酸化炭素ガスの部屋で、息ができなくなって、苦しみながら、ごめんなさいごめんなさいって、謝りながら死んでいくんだ。



 ごめんなさいごめんなさい・・・








uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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