旅:ベッドだけの部屋



 実話であるから、彼女の本名は明かせない。

 仮にB子としておこう。もう三十年も前の話だ。



 当時、彼女は二十代前半。

 付き合いはじめたばかりのオトコがいた。





 その彼に誘われた。



 泊まりの旅行にいかないかと。



 「泊まりって・・・」



 「・・・ダメかな?」



 「ダメ・・・じゃないけど」



 「考えておいてくれないか」





 彼のことは嫌いじゃない。いや、好きだと思う。いい人だもの。



 しかし、なにか踏み切れないものがあるのも事実。漠然とした不安。





 でも、旅行にいけばその不安も消えるかもしれない。



 B子は後日、旅行の話を承知した。

 親とはいっしょに住んではいない。だから、ヘンな言い訳もしなくていいから気が楽だ。





 「部屋が取れたよ。でもオレ、金があんまりないので、高級な部屋じゃないんだ・・・。それでもいいかい?」



 それを、飾りのない言葉として受けとったB子。嬉しくなった。



 「もちろんよ」



 「高級じゃないけど、二人のベッドはあるから」と、テレたようにいう彼がステキだった。



 

 彼が車で迎えにきた。

 どこにでもいるファミリーカー。中古で買ったと言っていた。



 B子ははじめての泊まりの旅行で、とってもワクワクしていたけれど、やっぱり少しドキドキもした。





 「ベッド・・・ボクが上になるから、キミは下でいいかな」

 と、彼に言われていた。



 「え? え、えっ? (なんかストレートすぎるわよ!)」 



 恥ずかしくて返事に困っていると



 「じゃあ、それで」と彼が言った。



 「え、ええ、お任せします(ああ、これがオトナの会話なのね)」

 いやん、ちょっとドキドキ。

 

 

 そしてついた宿は、白い木造モルタル二階建ての四角っぽい建物。



 小奇麗ではあるが、情緒はいまひとつといった感じ。



 「でも、彼はまだお金がないんだもの。しょうがないわよ。そんな堅実的な人のほうが、結婚してから安心よね」とB子は思った。



 もう彼と結婚のことを考えている自分に気づいて、B子は顔を赤らめた。









 フロントでサササッと名前を書く彼。慣れているのかしら。

 わたしのことは、どういうふうに書いているのかしら。もしかして「妻」なんて・・・きゃっ。



 部屋の番号は202号室。



 ガチャッと開いたその狭い部屋には、ほんとにベッドだけしかなかった。

 なんと、まさかの二段ベッド。



 彼は上で寝た。







 わたしが知っているのは、そこまでだ。

 その後の二人がどうなったのかは、知らない。



*このはなし、わたしたち夫婦のことではありませんから。

uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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