森田童子: かなり忘れてしまいそうなエッセイシリーズ
森田童子
CDを買った。久しぶりの森田童子。
たとえば ぼくが死んだら そっと忘れて欲しい
淋しい時は ぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ
(森田童子・たとえばぼくが死んだら)
しばらく森田童子は知らなかった。
学生時代、東京のちっちゃな街のレンタル店で見つけた、ちょっと悪そうなニーチャンが写ってるジャケット。
アパートに帰って、「きっとギンギンのハードロックだぜ」と思ってレコード針を載せたのに、流れてきたのはあのせつなすぎる、優しすぎる、可愛すぎる歌声だった。
全体に流れる「生まれてスミマセン」という雰囲気。
晩年の太宰治がアフロで女になったら、こんなふうに歌うのかなあって思って聴いていた。
中島みゆきや山崎ハコにも独特の暗さがあったが、彼女たちの歌には光があった。「ぶち破るぞ、おーっ!」というエネルギーがあった。
でも、森田童子は「あ、いいです。すみません・・・」と、ちっちゃな声で言って、うなだれている感じだった。
「戦うの、もうやめようか。このまま負けていようか」って思ったら、心地よかった。なにかに怒って、なにかにツッパっていたような毎日だった。その「なにか」ってのは、きっと「自分」なんだろうなって、オトナになってから気がついた。・・・あ、ちょっとカッコつけすぎっすか(笑)?
オトナになったいま、いろいろとヤマイを得て、人は必ず死ぬというアタリマエすぎることを意識して、漠然と、死ぬときは「菜の花の季節」がいいなと思っているのは、森田童子のせいだな、きっと。
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