心のご飯
本の資料を集めていた。
もっとも資料とはいっても、自分がもらったメールやメッセージや過去のエッセイなんだけど。
その中の一つ、メールを見つけた。
ある講演会での参加者さんの感想を教えてくださったメールだった。
その感想のひとつに
「昨日まで死を考えていましたが、大好きな先生の講演を聞いてからでもいいと思って来ました。死ぬことはやめて生きてみます」と書かれていた。
きっと、這うようにして会場にきてくれたのだろう。
わたしのモノカキとしての価値は、それだけでいい。
死ぬことをやめてくれた人が一人いた。それだけでいい。
生きてみようと思ってくれただけでいい。
しかし、誓って言うが、わたしの言葉には人生訓も啓発も、なにもない。
わたし自身が、いまでも自信のないままのオトコなのだから、そういう言葉を持っていない。
そんなわたしの言葉は、特効薬なんかじゃない。その場しのぎのカゼ薬。
だから、
もしかしたら、
生きてみようと誓ったその人は、この先また苦しむことがあるかもしれない。
今日、嬉しさで心がいっぱいになったとしても、
また明日には心が空っぽになって、せつなくなるかもしれないから。
そんなとき、苦しむ自分を責めないでくれたらいい。
死なないと誓っていながら、死にたくなる自分を責めないでいてくれたらいい。
そんなとき、不幸を感じる自分を責めないでほしい。
ダメな人だと思わないでほしい。
心に入る幸せは、ゴハンと同じなんだ。
どんなにいっぱい食べて満腹になっても、明日になればお腹は減るもの。
これから先は、
苦しんでいるあなたを相手に説教する人のことは、ほっとこ。
弱っているあなたに「死ね!」と罵る人のことは、ほっとこ。
「気合を入れろ!」とあなたに命令する人のことは、ほっとこ。
いちばん大事な自分を守ろう。
生きる価値だの資格だの、そんなややしいことは、あとから考えて付け足してもじゅうぶん間に合うから。
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