アタリマエのこと
仕事を辞め、しばらくはなにをしていいのか、わからなかった。
辞表を出したときはバブルの頂点で、それが受理されたときには、バブル崩壊だった。
青年実業家になるつもりが、中年失業家(はい、ここ笑うとこですよ)になっていた。
モノを書こう。漠然と思っていた。
きっと書けるぞ。いままでだってパソコン通信でいろんなこと書いていたんだもの。それがみんなにウケてたものと、むりやり己の才能を信じていた。
地元誌に「ライター募集」という記事があって応募した。年齢性別経験不問ということだった。
しかし、いつまでたっても面接の通知がなく、しょうがなく問い合わせのメールを送ったら、その返事のかわりにすぐに不採用の通知がきた。悔しかった。
いつか大物になって、その出版社から仕事の依頼がきたら「あのとき、面接もなく不採用でしたからねえ」とイヤミを言って断わることに決めた。
それから五年すぎた。
たまにゴーストライターとしてモノを書いているだけ。ぜんぜん売れてなかった。
きたら仕事を断わってやろうと決めた出版社からは、もちろんなんの依頼もない。
クサっていた。
情熱はあった。
しかし、叶えようとする行動力がなかった。
やることがなく、大好きなコラムニストの青木雨彦を、パソコンのキーボードでタイプする日々だった。いま思えば、いい修業だったかもしれない。彼の作品の九割は打ちこんだ。
辞表を出したときはバブルの頂点で、それが受理されたときには、バブル崩壊だった。
青年実業家になるつもりが、中年失業家(はい、ここ笑うとこですよ)になっていた。
モノを書こう。漠然と思っていた。
きっと書けるぞ。いままでだってパソコン通信でいろんなこと書いていたんだもの。それがみんなにウケてたものと、むりやり己の才能を信じていた。
地元誌に「ライター募集」という記事があって応募した。年齢性別経験不問ということだった。
しかし、いつまでたっても面接の通知がなく、しょうがなく問い合わせのメールを送ったら、その返事のかわりにすぐに不採用の通知がきた。悔しかった。
いつか大物になって、その出版社から仕事の依頼がきたら「あのとき、面接もなく不採用でしたからねえ」とイヤミを言って断わることに決めた。
それから五年すぎた。
たまにゴーストライターとしてモノを書いているだけ。ぜんぜん売れてなかった。
きたら仕事を断わってやろうと決めた出版社からは、もちろんなんの依頼もない。
クサっていた。
情熱はあった。
しかし、叶えようとする行動力がなかった。
やることがなく、大好きなコラムニストの青木雨彦を、パソコンのキーボードでタイプする日々だった。いま思えば、いい修業だったかもしれない。彼の作品の九割は打ちこんだ。
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