嫌われるという選択肢

嫌われるという選択肢があるさ
 「わたし、人に嫌われたくないのです。どうしたらいいのでしょうか?」と、社会人二年目のお嬢さんに聞かれたことがある。

 どんなに努力しても、彼女のことを嫌う女性の先輩がいるのだそうだ。
 優しい子なのだ。そんなことを思うだけ、優しいのだ。

 わたしとしても、常に考えていた問題でもあったので「ええい!」とばかりに言ってしまった。


 「キミ、そこまで優しくならなくていいんだぜ」と。
 そりゃ人に好かれるってことは、嫌われるよりもずっといい。わが子たちも、誰からでも愛される人になってもらいたい。
 しかしだ。これまで生きてきてわかったことは、誰にでも好かれるってことは、できないってことだ。
 ときにはどうしたってダメな人がいる。

 なんと好かれようと努力をするが、ダメ。だんだんとこちらの心が疲れてくる。

 努力することは尊いが、相手に好かれようとして自分を殺してしまっては愚かだ。そこまでがんばっちゃいかん。
 ようするに、自分自身が誰のことも嫌わずに生きているわけでもないのに、誰からにも嫌われずに生きていこうとするところに無理がある。


 多くの人に「いい人」と言われる人でも、きっと誰かには嫌われる。



 

 どうしてもダメな人には「嫌われるという選択肢もある」ということに気がついた。だから、嫌われていい。


 誰にもかれにもなんて好かれなくていい。


 娘がまだまだちっちゃなころだった。ドアの向こうから顔だけだし「おとーさん」と呼ぶから「なんだい」と答えた。
 そしたら「だーいきらい!」と言って、笑いながら逃げていった。

 こういう大きらいは大歓迎だけど。



uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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