6・『人体へのダメージ』の実例 《一徳レポート》
『人体へのダメージ』について実例を紹介します。
架空の数値ではなく、身近に起きた実例で、放射線被曝ってどうなるの?を知りましょう。知らない方が不安が大きいですから。
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1999年9月30日、東海村のJCOという核燃料棒加工施設で『臨界事故』がおきました。
架空の数値ではなく、身近に起きた実例で、放射線被曝ってどうなるの?を知りましょう。知らない方が不安が大きいですから。
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1999年9月30日、東海村のJCOという核燃料棒加工施設で『臨界事故』がおきました。
『臨界』というのは、核分裂連鎖反応、、、つまり、原子炉が運転時の炉心(中央部)の状態、、、この分裂が瞬間的に増加し続けると核爆発と同じです。
なぜ事故が起きたか?という事は、ここではスルーしますので、知りたい方は検索してください。非常にお恥ずかしい原因です。
さて、この時に現場で作業をしていた2名と、壁をへだてた廊下にいた1名の3名の作業員が被爆しました。
以下に検索した内容をまとめてみました。
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1)推定16~20シーベルト以上の被曝をした当時35歳の作業員は、染色体が傷ついたため、新しい細胞ができない状態となり、白血球が作れなくなりました。
造血細胞移植が一端は成功しましたが、その細胞も体内被曝でダメになり、83日後に亡くなりました。
2)推定6~10シーベルトの被曝をした当時40歳の作業員は、造血細胞の移植が一定の成果をあげ、一時は警察の本事故捜査員への証言を行うまでに回復しましたが。その後に急変し、211日後に亡くなりました。
3)推定 1.0~4.5シーベルトの被曝をした当時54歳の作業員は一時白血球数がゼロになりましたが、『放医研』で骨髄の治療を受けて回復。12月20日に無事に退院しました。
4)他にも、救急隊員やら3人が最大120ミリシーベルトの被曝、6名が50ミリシーベルト以上の被爆、周辺住民207名が最大25ミリシーベルの被爆という被害を受けましたが健康被害はありませんでした。
結局、自分たちの手元で起きた核分裂で当事者2名だけが亡くなったという結末です。
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ここで、前の日記で説明した『人体へのダメージ』の表と見比べてみてください。
上記(3)の当時54歳の作業員は4.5シーベルトもの高い被曝をしましたが、手当のお陰でお元気にされています。
6シーベルト以上だったという見解もあり、この状態でも生還できるという実例です。
(4)の多くの被爆者にも、その後の健康被害が見あたりませんでした。
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我々が普段の生活で理解している、ヒ素やカドミウムやO157菌による健康被害と大きく異なるのが、『急性』の放射線障害を乗り越えると、元気な体に戻れるって事です。
それはナゼでしょうか?
放射線によるダメージは、細胞の遺伝子が傷つけられる事です。つまり染色体が破壊されて、造血できなくなったり、体のいろいろな機能がストップする。
それを体内の放射性物質を排除しつつ、病状に適切に対処していき、新しい細胞との入れ替わりがうまく終われば『完治』するのです。(生殖機能にダメージが残る場合はあります)
後遺症はというと、これまた統計的な発病率が少しUPするけれども、別の要因で病気になったり、交通事故で死ぬ確率も高いです。
このように、太古の昔から、宇宙線やら紫外線とか外部ダメージに晒されてきたニンゲンって、意外と丈夫でしぶとい生き物なのですよ。
報道されてる数値にビクビクしている方が、別の病気になっちゃいますぜ♪
次は、今、世間に広がっている多くの『デマ』を検証してみます。
実際に、あなたも風評を広げてませんか?
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追記-1
さて、3月25日に福島原発で被爆された3名の作業員の内、長靴を履いていなかった2名は、放射能汚染された水が肌に接触し、2~6シーベルトの被爆でしたが来週にも退院できると報道されています。
ベータ線熱傷ですから、乱暴に言うと、浜辺で寝ていてパンパンに腫れるほど日焼けした状態で済んだのですね。
搬送された病院も、放射線治療の世界最高水準の『放射研(放射線医学総合研究所)』、元々は昭和32年に発足した科学技術庁直轄の国立研究所です。
上記(3)の被爆者を生還させたのもこの病院です。
医者や博士や政治家による売名行為のパフォーマンスが多いです。
前の日記でも紹介していますが、どんなメディアの報道よりも、この研究所の情報をぜひ信頼してください。
shtml
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追記-2
25年前の『チェルノブイリ原発事故』も、核分裂連鎖反応中の爆発という史上最大の事故で、死亡者が公称4000人(通説では9万人とも)と、多いですが、大半が放射能を事を教えられずに、防護服もなしで長期に清掃作業をした作業員達です。
甲状腺癌で苦しむ子供達は、高濃度に汚染された牛乳を、その後もずっと飲み続けていたのが原因なので、一般的な放射線事故とはまったく様子が違います。
今回の事故を、チェルノブイリの事を持ち出して評価する方がいますが、正当な評価者だとは思えませんし、むやみに世間の不安を煽る情報テロリストだと私は思います。
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