忘れられてしまいそうシリーズ

 おっと、かなーり久しぶりになりました、忘れてしまいそうシリーズエッセイの第・・・えっと、10回くらい?
 
 
「ペットの時代」
 
 アルバムを整理していて見つけたむかしの写真。

まだ一歳くらいだろう、しゃがんでわたしの顔を見ている娘の写真があった。


「嬉しくてしょうがない」という顔だった。

 その娘を見つめるわたしの眼差し。それがまた傑作なくらい愛に満ちている。

わたしがあんな顔をするなんて、わたし自身も想像していなかったことだ。
 
 娘が生まれる前は、子どもは好きじゃなかった。友人夫婦の赤ん坊の、無遠慮に動きまわり、無遠慮に脱糞し、無遠慮に泣いている様を見て、こんな生きもの、どこがいいのかと思っていた。
 
 しかし、娘を持ってから認識がかわった。かつて、これほどわたしを信頼して命を預けてきた生きものはあったろうか。すべてを委ね、わたしをこれほど好きになってくれた生きものはあったろうか。
 
 いや、あった。犬だ。そう、ペットだ、こいつらは。子どもらは、一時期ペットの時代を過ごすのだ。
 
 「おとーうさん! おとーうさん! おとーうさん!」と用もないのに歌いながらわたしの足にまとわりつき、仕事にいくときは玄関まで見送りにきて、「いかないでー」と本当に泣いちゃって、家に戻ったときには「わーいわーい」と文字どおりに飛びあがって嬉しがる。まるでわが家の愛犬ハチと同じではな

いか。
 
 しかし、悲しいかな、子どもはペットのままではいてくれない。


愛犬ハチは、年頃になってもあいかわらずわたしがそばにいけば喜んでシッポをふるし、家を出るときはクンクンと鳴いて寂しがってくれる。が、しかし、中三の娘はどうだ。「ただいまっ!」と家にもどっても、テレビを見たままで「おかえりなさい」の返事もない。妻が注意すると「あ、いたの。ゴメンね」と悪びれもしない。家を出るときもとうぜん泣いてなんかくれない。帰ってこなくてもいいよという雰囲気さえある。


 小学生の弟のほうに、まだいくぶんペットの部分が残っているのが救いだが、こいつだって、ヒトになるのは時間の問題だろう。
 
 こうなったら妻をペットにしてやろうかと思った。しかし、残念ながら、先に向こうが飼い主だと思っていたみたいで・・・。

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uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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