たとえばボクが死んだら
むかしむかし、わたしが東京で学生をしていたころ、品川区にあります武蔵小山のレンタルレコードショップで森田童子のアルバムを見つけました。
そこには当時の松田優作みたいな写真が載っていて、これはもうハードロックだろうと思って借りました。そしてアパートに帰ってき聴いてみたらすっごい裏切り。
その後森田童子にハマってしまって、彼女の歌を全曲聴きました。
ハッキリ言いましょう。森田童子の詞(ことば)も旋律も、当時のわたしには危険でした。
太宰治の「人間失格」をはじめて読んだときのような衝撃。死は純粋だ。死はいいことだと思ってしまいそうな気さえしました。
でも、死んじゃいけないですね。どうしたっていけない。
わたしときどき講演会でお話するんですが、あるとき白髪で70歳くらいの女性が、「ちいさな手」というわたしたちの作っている手作り絵本を持ってきて「サインしてください」と言ったんです。
見返しのところに「明日香ちゃんへ」と書いてくださいとのことだったので、「はい、明日香ちゃんですね。お孫さんですか?」と聞きましたら、一瞬の間があってその女性は答えてくれました。
「17歳のときに、自殺したわたしの娘です」って。
わたしは後悔しました。その日の講演会では、わが子が無事に生まれたっていう自分の喜びばかり語って、この女性を苦しめていたのだと思いました。
彼女に「ごめんなさい。辛かったでしょう」と謝りましたが、「いいえ、いいんですよ。この子の供養のために、この子が生まれてきたことに感謝したいと思って、この本を買ったのですよ」と言ってくれました。
親はどんなに必死になってその子を生かしているか。
なにを犠牲にしても、その子を守りたいと思っているのか。
子どものうちは、知らないんですね。
なにを犠牲にしても、その子を守りたいと思っているのか。
子どものうちは、知らないんですね。
わたしは
「明日香ちゃん、後悔しなさい。自分のしたことを思いっきり後悔しなさい」と心の中で語りかけながら、サインをしました。
森田童子の歌詞のように、その死を、そっと忘れることなんて、親や友だちにはできませんものね。
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