たとえばボクが死んだら

 むかしむかし、わたしが東京で学生をしていたころ、品川区にあります武蔵小山のレンタルレコードショップで森田童子のアルバムを見つけました。
 
 そこには当時の松田優作みたいな写真が載っていて、これはもうハードロックだろうと思って借りました。そしてアパートに帰ってき聴いてみたらすっごい裏切り。

 
 その後森田童子にハマってしまって、彼女の歌を全曲聴きました。

 
●森田童子「たとえばぼくが死んだら」「ラスト・ワルツ」1980

http://www.youtube.com/watch?v=7xDMgOQygmQ&feature=related

 
 ハッキリ言いましょう。森田童子の詞(ことば)も旋律も、当時のわたしには危険でした。
 
 太宰治の「人間失格」をはじめて読んだときのような衝撃。死は純粋だ。死はいいことだと思ってしまいそうな気さえしました。

 
 でも、死んじゃいけないですね。どうしたっていけない。
 
 わたしときどき講演会でお話するんですが、あるとき白髪で70歳くらいの女性が、「ちいさな手」というわたしたちの作っている手作り絵本を持ってきて「サインしてください」と言ったんです。


 見返しのところに「明日香ちゃんへ」と書いてくださいとのことだったので、「はい、明日香ちゃんですね。お孫さんですか?」と聞きましたら、一瞬の間があってその女性は答えてくれました。

 
 「17歳のときに、自殺したわたしの娘です」って。

 
 わたしは後悔しました。その日の講演会では、わが子が無事に生まれたっていう自分の喜びばかり語って、この女性を苦しめていたのだと思いました。
 
 彼女に「ごめんなさい。辛かったでしょう」と謝りましたが、「いいえ、いいんですよ。この子の供養のために、この子が生まれてきたことに感謝したいと思って、この本を買ったのですよ」と言ってくれました。

 
 親はどんなに必死になってその子を生かしているか。

なにを犠牲にしても、その子を守りたいと思っているのか。

子どものうちは、知らないんですね。

 
 わたしは
 「明日香ちゃん、後悔しなさい。自分のしたことを思いっきり後悔しなさい」と心の中で語りかけながら、サインをしました。


 森田童子の歌詞のように、その死を、そっと忘れることなんて、親や友だちにはできませんものね。
 
 
 

uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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