サイン

忘れられてしまわれそうシリーズ
「サイン」
 
 
 じつはサインが苦手です。「お願いします」と色紙を渡されると、とたんに緊張してしまいます。


 モノカキといいましても、わたしの場合、仕事で字なぞ書くことがありません。普段はパソコンのキーボードを叩いて文章を作っていくだけです。


 漢字も書けず、人並み以上に字の下手くそなわたしには、キーボードを打つだけで正しく漢字に変換し、キレイに文字を表示してくれるパソコンの存在がとてもありがたいのです。もし、いまも原稿用紙に手書きの時代でしたら、わたしはエッセイストになれなかったかもしれません。


 そんなわたしですから、色紙を渡されると焦ってしまうのです。そして、ソーメンの干からびたような情けない文字を書き、その上かなりの確率で漢字を書き間違えるのです。


 あるとき、県央の小学校の校長先生に、渡り廊下に飾るので「家族っていいなあ」というわたしの本のタイトルを入れた色紙を書いてくれと言われました。例によっておおいに緊張したあげくに書きあげた色紙は「家族」の「族」の字を「遊(あそぶ)」と書いてしまって「家遊(いえあそび)っていいなあ」という、わけのわからないモノを作りあげてしまったのでした。


 そのまちがいに気づいたのは、書き終わって一時間後の帰りの車の中でした。その瞬間、顔がまっ赤で胸はドキドキです。あんなものはそのまま捨ててくればうれしいのですが、もし「家遊(いえあそび)っていいなあ」と書かれた色紙が小学校の廊下に飾られていて、それが原因でいたいけな子どもたちの正しい成長を阻害するようなことになったらどうしましょう。
 
 しかし一方では、文字を正しく書けなくてもエッセイストになれるという事実を伝える意味で、いい色紙かもしれないなと思ったりもしています。


 先日は、とある学校の講演会で、若いお母さまに呼び止められ、サインとともに座右の銘を書いてくれと言われました。毎日それをみながら自分を元気づけたいと言うのです。


 その想定外の申し出に気が動転してしたわたしは、「努力」とか「根性」とという清く正しいことを書けばいいのに、あろうことか「棚からボタモチ」なんていうロクでもないことを書いてしまったのです。


 こんな言葉を座右の銘にして、その若いおかあさんの今後の人生にわるい影響を与えるのではないだろうかと、いまはそればかり気になっています。
 
 
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uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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