路傍のキャベツ

忘れられてしまいそうシリーズ
「路傍のキャベツ」
 
 
 大学生の息子がまだ小学校低学年の頃の話です。


 二人で犬の散歩をしているときに、電柱の陰にキャベツが生えているのを見つけました。それは商品として売られているものとはちがい、情けなくやせたキャベツでした。


 なにかの間違いで、栄養の乏しい道ばたに種が落ち、そしてその種が雨水を吸い、淡々と芽を出しここまで育ってきたのでしょう。


 「おや、こんなところにキャベツが」と思った程度で、それきり忘れていました。
 
 それから幾日か過ぎたある日の午後、家の前の道路から「おとーさーん。おとーさーん!」とわたしを呼ぶ息子の声がするのです。


 窓を開け「なんだー?」と返事をしましたら「降りてきて降りてきて」とランドセルを担いだまま息子は踊るように跳ねまわっています。
 
 外に出たわたしの手を引き、走っていったその先は、いつかのキャベツの場所でした。


 キャベツは頭から何本も茎を出し、きれいな黄色い花を咲かせていました。


 「キャベツって花が咲くんだね!」と息子が驚いたふうに言うので、「うん、咲くよ。大根だってニンジンだって、ほら、そこいらにある小さな草だって、枯れなければいつか花が咲くんだよ」と教えてやりました。
 
 「なあ、このキャベツはなぜ花を咲かせたと思う?」と息子に聞きましたら、しばらく「うーん」と首をかしげて考えたあと「わかんない」と答えました。


 「それはな、このキャベツが咲きたいから咲いたのだよ」とわたしは言いました。


 息子は「え? そんな答えはズルいぞー」と怒りましたが、でも、きっとそうだと思うんです。キャベツの花は誰のためでもなく、自分のために咲きたいから咲いたのです。
 
 オマエも、オマエのために咲いたらいいよ。人の顔色を気にして咲くんじゃなくて、誰かに褒められるためでもなくて、オマエはオマエのために咲くのがいいよ。おとうさんは、そうやって咲いたオマエの花が、いちばんキレイだと思うから。
 
 と、息子の頭に手をやり、ひとりごとのように言いました。

 息子はわかったんだか、どうなんだか。キャベツの花をじっと見ているのでした。
 
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uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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