越えたとか越えぬとか
「親」ってのは、超えるとか超えぬとか、そういう次元の存在ではないみたいですね。超える対象とかなんとか考える以前の存在なんですね。
どうしたって親はいつまでも親であって、子どもの私はどうしたって親の子であって。
どうしたって親はいつまでも親であって、子どもの私はどうしたって親の子であって。
まったくもう、家の中にヘンなジジババがいるなあと思ったら、それが親ですもんね。
その二人がいてくれたからわたしがこの世に出てこれたわけで、だからこんなふうに文字を打っているっていうことですね。
先祖のだれか一人が欠けてもこのフジタイチオはいなかったのだろうなと、そう思うと不思議。
先祖のだれか一人が欠けてもこのフジタイチオはいなかったのだろうなと、そう思うと不思議。
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