取材日誌:叩かれた消防団
叩かれた消防団
こちらの消防団は、前著「オレたち消防団!」の発行直前に新聞記事になって登場した。いや、それは良いほうではなく、悪いほうでだ。
それはある告発によってだった。
「市の交付金から多額の金を宴会や飲食で使っていたことが分かった」と、まるで消防団で公金を横領しているかのような記事だった。公平に正義のためにあるであろう新聞に、消防団を告発するほうの主張ばかりが載っていて、渦中の現役消防団員のコメントは見あたらない。
これを読んだ団員たちはさぞ悔しかったろう。そして、その家族たちは、もっと悔しかったろう。訓練や点検のために自分たちの時間を削って活動している自分の父が、夫が、どうしてそんなふうに叩かれなければいけないのだと、悔しくて悲しくて、正義の味方と信じ、子どものころから親しんでいた新聞にも裏切られた気持ちになったことだろう。
その後も告発者からは消防団へのバッシングが続いた。
酔っ払い消防団・飲みたがり食いたがり・消防団は消火はしない・消防団なんかいらない・訓練しても役に立たない・消防団大好きな団員は試験を受けて化学消防車に乗ればいいなどなど・・・
消防団のことをなにも知らない一般市民から「思い込み」でそのような意見を聞かされることはあるが(そのようなときは、消防団の実態を説明してわかってもらえることが多いが)、市議会の議員さんがそのようなことをチラシで世間に配布していることが驚きだった。
消防団を悪者にし、正義の代弁者を気どることは容易(たやす)かろう。なにも知らない人たちは、消防団のことをとんでもない団体だと思ってくれることだろうし、それを告発する議員さんに拍手を送ることだろう。
たしかに消防団にも正すべきことはある。それは真摯に受けとめなければいけない。
しかし、そのチラシを読むかぎり、わたしは哀しみで体が震えるばかりだった。責められている彼らの心を思うとせつなくなる。それは、いっしょうけんめいやっている彼らの姿を見ての苦言だったのか。
彼らを見てみたらいい。彼らの一人ひとりの活動を見てみたらいい。彼らは「飲みたいから」、「食いたいから」、「金がほしいから」消防団をやっているのだろうか。「飲みたいから」、「食いたいから」、「金がほしいから」ならば、消防団活動でそれを実現するには効率が悪かろう。
活動でもらえる報酬や、飲み食いする金額は、彼らが地域のために活動して削ってきた自分の時間や家族との時間と比べて、けっして多すぎることはない。いや、活動時間と彼らの受けとる報酬を計算してみたらいい。そのような金なら、彼らが消防団に使う時間を本業で使えば何倍にもなって入ってくる。
言ったもの勝ち、大きな声を出したもの勝ちでいいのだろうか。彼らのがんばりを、そうやって非難し嘲笑するようなことでいいのであろうか。
しかし、嬉しい。
人としての尊厳を傷つけるような言葉をぶつけられても、それでも消防団の若い彼らは、地域を守ろうとしてくれる。
そうやって非難する言葉を聞かせられながらも「次は自分たちが地域のために」と思って入団を志願してくれる若者がいてくれる。それが嬉しい。
「自分たちの活動している姿を見てもらい、それでわかってもらいたい」という団員たちの姿勢が、現実に市民への理解を深めてくれていることが嬉しい。
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