怒られないアナタがお好き?

 人の忠告はありがたい。

言いにくかろうに、言ってくれてほんとにありがたい。



 基本的に「良薬は口に苦し」なのだ。

苦い言葉は尊い・・・。



 いや、ちょっと待て。

 毒だって、きっと苦いぞ。



 苦い言葉だからといって、すべて自分のことを思っての忠告とは限らないのではないか。



 なーんてアマノジャクなこと言ってみる。



 好みに合わないから、感性がちがうから、そのままでいられたらあちらの都合がわるいから、そんな理由で出ている言葉を「アナタのために言うんだ」なんて有り難げに言う人もいる。



 ま、そんなときでも相手の機嫌を損ねるのもナンだから、オトナのわたしは少しズルくなって「ご親切にありがとうございます」と返事はすることもあるけれど。





 以前、「卒業おめでとう!」という主旨のエッセイを新聞に書いたことがある。



 そしたら

 「うちの子は単位が足りなくて卒業できなかった。それなのにどうしてそういうエッセイを書くのだ。卒業できずに苦しんでいる子がいるという現実を頭に入れておけば、そんな無神経なエッセイは書けないはずだ」と手紙がきた。



 そんなときは、素直に謝る。「ごめんなさい」と。

こちらに悪気がなくても、実際に不愉快な気分にあわせてしまったのは事実だから、謝った。



 しかし、そこにもう一言付け加えた。

「でも、わたしはこれからも、同じように書くと思います。スミマセン」と。



 ああ、きっと怒ってる。

「親切にあいつのためを思って忠告しているのに、あのバカエッセイストは言うこと聞かない!」「あいつのつまらんネタのために泣いている人がいることをわかってない!」と思っているだろう。



 開き直るわけではないが、わたしは言葉をそのまま受け入れることはしない。



 その怒っている人の好みに合わせたエッセイを書きたいか? 書きたくない。

 非難している人に迎合したエッセイなんぞ、つまらん。



 大きな声の人に合わせていたら、わたしのエッセイを好きでいる人のことを忘れたエッセイになってしまう。





 怒っている人がいるなら、しっかり考えよう。

 でも、だからといって、なんでもかんでも怒っている人に合わせた行動をすることはないはずだ。



 わたしたちは「怒られるという選択肢」も持っているのじゃないかな。





 なーんてことを年末に語ったりする。





ちなみに、いま怒られているってわけじゃありませんのよ ('▽')♪♪




uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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