もうひとつの命の授業

 ある中学校へいったときのことです。

教育委員会学校支援課主催「いのちの大切さを考える取組」の一環で。



 「あなたの命がたいせつ」とわたしは言いました。

陳腐かもしれませんが、ストレートに「命はたいせつ」と言いました。





 そしたら、「ううん」とちいさく首を横に振った女子生徒がいました。



 いえ、強く振ったわけじゃなくて、思わず「ううん、ちがう」と振ってしまったような感じでした。



 ううん、ちがう。

 わたしの命はたいせつなんかじゃないって言っている気がしました。



 その子、なにか重い荷物を背負っている気がしました。





 そこから、わたしとその子との対話が始まったと思います。

もっとも、対話といっても、二人っきりで話したわけではありません。



 ときどきその子の顔を見ながら、話し続けたということです。



 オトナを信じてほしい。信じられないオトナがいても、オトナに絶望しないでほしい。



 オトナだって未熟だ。オトナだって迷っている。成長している。昨日とちがっていることだってある。



 親でもいい、先生でもいい、このわたしでもいい、だれでもいい、オトナを信じてほしい。



 苦しいときは、伝えてほしい。

 一人でなんでもできるいい子にならなくていいから、心配かけていいから、だめな子でいいから。



 どんな子になったとしても、あなたはたいせつな子。



 あなたの命はたいせつなんだと伝えました。





 話を終えて、席に戻りました。



 そして、イベントが皆終わり、わたしたちは退場しました。



 彼女のそばを通るとき、目を見てわたしはちいさく手をあげました。



 じゃあ、またねと。



 そのまま体育館の出口まで歩いてき、そして振り向いてもう一回生徒たちにお辞儀をしたとき、大きく手を振る彼女が見えました。



 「じゃあ、またね」って言ってるみたいに。









uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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