あの日、現場
揺れが収まったあと、軽トラで自宅に戻り、家族にすぐ逃げるようにと伝えた。
皆は叔母の家に避難し助かった。
しかし、その事実を確認できたのは、震災から四日経過してからだった。
家族の無事を信じつつも、それが確認できるまでの間はほんとうに苦しかったろうと想像に難くない。
家族に声をかけてからすぐ消防の屯所に向かい、そこでポンプ車に乗りかえ水門を閉めにいった。
途中で川の水が真っ黒になっていることに気づいた。
津波が、くる。
その日、津波避けの水門が、誰かのいたずらか、通常の高さにはなかった。
それを戻すためにいつもより時間がかかった。
腹立たしいいたずらであるが、それが結果的に昆さんの命を救った。
もし、通常の時間で閉め終わっていたら、昆さんは屯所に戻りその中に待機していただろうと言う。
その場合は、屯所もろとも津波に飲まれて流されてしまい、命がなかった。
すべてのゲート操作を終えて海を見た。
水門と水門の間に川があり、海に続いていた。
川と海の境目、つまり海面がどんどん高くなっていくのがわかった。
しかし、川に海水が入ってくるわけではなかった。
川の高さは変らず、海面だけがどんどん高くなっていき、水の壁ができあがっていた。
まるで、水門と水門の間にガラスの壁があるようだったと昆さんは言う。
そして、その壁が水門の高さを越えたとき、一気に大量の水が溢れ押し寄せてきた。
死ぬかと思った。走って逃げた。後ろからバリバリと家の壊れる音が追いかけてきた。停めてあった車に飛び乗った。
車に飛び乗るために費やされる時間さえ惜しいと思った。
津波がそこに迫ってきていた。
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