ありがとう・・・



 彼女はいつも、笑顔の後ろに、涙をいっぱい隠していた。




 彼女が「ありがとう」を言えないでいたのは、しょうがなかった。

 



 だって「ありがとう」って言ってしまったら、もうそれが最後のお別れになりそうで、恐かったから。


 


 


 だから、言えなかった。


 たくさん感謝しているけど、言えなかった。


 


 


 でも、言わないままお別れになったら、もっとせつないことはわかっていた。




 もう、残された時間がなかった。


 


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 今日、ありがとうが言えた。




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 ベッドの上で、彼女の父は、彼女の名前をいっぱい書いてくれた。


 


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 声が出なくなったから、紙に書いてわたし呼んでくれたんだね、おとうさん。


 


 おとうさん、強いね。がんばってるね。


 


 おとうさんは、いつも強かったね。


 


 おとうさん、わたしのおとうさんでありがとう。


 


 おとうさんはわたしの誇りだよ。かけがえのないおとうさんだよ。


 


 おとうさん、ありがとう。


 わたしはおとうさんの子どもでうれしいよ。ありがとう。


 


 おとうさんがそばにいてくれて、うれしいよ。




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 ・・・あ、おとうさん、いまわたしの名前を呼んだでしょ?


 


 いま口がそう動いたからわかったよ。


 


 おとうさん、ありがとう。


 わたしのおとうさんでいてくれてありがとう。


 


 おとうさんがいたから、わたしはなんでも思いきりやってこれたんだってわかったよ。お父さんはわたしの心の中のおっきな柱だよ。


 


 なにがあっても、おとうさんがいれば大丈夫って思っていたこと、気づいていたよ。


 


 おとうさん、ありがとう。


 


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 父はやさしく、耳もとにいる彼女の頭をなでた。


 


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 わあ、ちいさな子どもに戻ったみたいだよ、わたし。

 わたしが小さなころ、おとうさんは、いつもこうやってくれていたんだね。




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 おとうさん、窓を開けようね。

 気持ちのいい、外の空気を入れようね。


 


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 微かに肯いた父を見て、彼女は立ちあがり窓を開けにいった。




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 いい風が入ってくるよ、おとうさん・・・





 おとうさん、おとうさん・・・


 


 おとうさん


 






uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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