父の倒れている風景

 年老いた親がいるということ。



 歳とった、体が不自由になった、思考力に不安が出てきた・・・



 自分がそうだったら、歳とって人の世話になるようだったら、ボケて人に迷惑かけるようになってしまったなら、ほんの少しでも「この人、いなくなってしまえばどんなに楽か」と思われるようになってしまったら、きっと静かに消えてしまいたいと思う。



 大袈裟な消えかたをすると人に迷惑をかけてしまうから、静かにそっと消えてしまいたい。



 わたしの両親も、もしかしたらそんなことを思っているのかもしれない。





 昨日、わたしが電話で仕事の話をしているときに「たすけて・・・」と声が聞こえたので、慌てて駆けていったら、父が横たわっていた。



 「いま、父が倒れていますので、まだあとで」と切る。



 ズボンを半分下ろしたままの姿で倒れている父。一人で着替えようとして、転んで起きられなくなっていた。



 転んだ後は、しばらく自分の足で動けない。なんとか介護用のベッドまで運ぶのだが、力の抜けた60キロの人間を連れていくと、わたし自身もかなり消耗する。



  家族の手を煩わせないようにと思っているのに、結果的に迷惑をかけてしまうことの父の無念。

 

 そんなふうになっても、父は自分のことをたいせつだと思っていられるのだろうか。

 早く死んでしまいたいと願ったりはしないのだろうか。





 このブログを書いている最中に、ドンという音がした。



 駆けつけたら、また父が倒れていた。トイレから出て、そこで仰向けに転んでいた。頭を打っていなかったようだ。



 倒れていることが日常の風景。

 わたしがいるかぎりは大丈夫だ。なんとかできる。





 これから入院します。






uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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