父のこと

 父の様子はあいかわらず。



 いまはただ「寝て、ご飯食べて」の生活のようです。

まだオムツ生活ですが、これからは少しずつ歩くリハビリもやっていくことでしょう。



 ナースセンターに心電図のモニターがあり、父のデータが送られていきます。

 入院当初の大きな脈の乱れはなくなったとのことです。



 あと、転院時に見つかった肺の陰は、さらに今月末にレントゲンを撮っての判断となるようです。



 父の病室に入ったら、ちょうどご飯の最中でした。

 食べながらむせて咳こんだのか、テーブルやベッドに食べものが散乱していました。

 ティッシュでそれらを拾い「爺ちゃん。むせたの?」と聞いても聞こえない父です。喉をゼィゼィと鳴らしながら懸命に御飯を食べていました。



 食事のあとは、介護の人が父の口をゆすいでくれます。

 息子のわたしでも汚らしく感じることを、笑顔でやってくれます。仕事とはいえ、ありがたいです。





 毎日病室に顔を出しているので、とっても仲のいい父子と思っている人もいて「偉いね」と言ってもらえるのですが、残念ながら、わたしはいい息子ではありませんでした。



 子どものころ、父のことを何度「死ね!」と思ったことか。大嫌いでした。



 わたしが幼いころの父は、夜になるダラシなく酒に酔っぱらい、ドロンとした目つきでわたしを睨み、そして殴っていました。



 いえ、いま問題になっている虐待ではありません。酒癖の悪い父に向かって、わざと逆らっていたわたしが原因です。



  バカな酔っぱらいの話など聞いてらないと思っていたから、父がなにか言っても反論して。



 あんまりしつこく逆らうので、それで黙らせようと父はわたしを殴るのです。



 わたしは子どもでしたから、大人の父にはかないません。なにもできずに寂しくて悔しくて泣いていました。殴られることを承知で逆らい、そしてそのつど泣いていたわたしでした。←ちょっとバカですね。





 いつか殴り返そう。いつか投げとばそう。いまはまだ殴られてばかりだけれど、いつか勝てる。醜い酔っぱらいになんて負けっぱなしでいられないと、そんなふうに思っていました(なんだか家の恥をさらしていますが)。



 わたしが成長するにつれ、父に対する軽蔑の気持ちも大きくなりました。そのぶん、父が愚かでちっぽけな人間に見えてきて、戦う価値もないと思いました。



 ちっぽけな父に反抗する気もなくなり、ただ無視する存在。

 結婚して子どもができて、それでも父に対する気持ちはかわりません。

 子どもを育てて親のありがたみがわかるといいますが、父のありがたみなど少しも思うことはありませんでした。



 

 父との関係が変わったのは、十数年前の夏に父が脳梗塞で倒れてからです。

 生死の境をさまよっている父に「好き勝手にじゅうぶん生きたろう」と心で語りかけ、そのまま死んでもいいと思っていました。

 

 このあとのことは、エッセイ集にありますし、講演会などでなんども話していることなので書きませんが、この日を境にわたしたち父と子の関係が変わりました。



 父を恨む気持ちなどなにもなく、ただ愛おしくありがたく思うようになりました。



 そして父には、ただ楽に、ただ平穏に、ただ楽しく生きてくれればと思っています。



 病院よりも、できれば家にいてもらいたい。

 テレビを観たり新聞を読んだりしていてもらいたい。



 そう願って、父のところに顔を出しているのです。








uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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