愛してる車(エッセイ、9年前シリーズ)

 これも9年前シリーズ。



「愛してる車」
 8月で愛車が(そう、文字どおりの愛してる車)この世に生をうけて10(今現在19年)年目となった。
 われらは平穏に暮らしていたのだけれど、一昨年に追突事故にあってからケチがついた。修理費が車輌時価額を越えるいわゆる全損事故。相手方の保険会社が提示する額では修理ができない。

 修理工場のオヤジさんに無理をいって、中古部品を探してもらったり工賃を負けてもらったり、最後には賠償金額に少なくもない自腹まできって治した(そう、直したんじゃなくて、治したんだ)。全治3か月だった。
 去年は磐越自動車道で唐突にミッションが逝ってしまった。トンネルに入るちょっと前に車がガタガタ揺れだし、スピードメーターの針がストッと落ちてゼロを示した。

 ヤバいと思ったが路側帯もない対面通行のトンネル内で停まるわけにもいかず、そのまま走ってようやく出口へたどり着いたときには、車内にミッションオイルの焼けた白煙が充満していた。ミッションといっしょにこちらも逝っちまうかと思った。

 このときは、自宅までの運搬料5万円と修理費45万円で全治4ヶ月。
 車なんて雨風しのげりゃいいじゃないの。その修理費で中古買いなさいよという人もいた。いま乗ってるのよりもずっと新しい年式のが買えるよと。
 でも、それじゃあダメなの、ぜったいダメなの。雨風しのぐだけじゃヤだヤだヤダモン、だってこの車が好きなんだもん、こだわっちゃうんだもんと地べたに寝ころがって手足をバタバタして赤ちゃん返りするくらい(じっさいはそんなことしてないんですよ)、いまの車が気にいっているのだ。
 いままで10(19)年間、いつも一緒だった。ここまで付き合ってきて、壊れたからサヨナラなんていえない。糟糠の妻に「オレ、金が貯まったからいい女探すわ。サヨナラ」なんていえない。
 というわけで、まだ乗っている。今年は10(19)年目を迎えた記念に逝った・・・(逝ってない逝ってない)いった東北旅行で、マフラーのガスケットが抜け、二泊三日の旅は華々しい超爆裂排気音つきとなった。
 幸いなことに、地味な車のせいですれちがうパトカーにも止められず旅を終えることができた。
 地味な車。そう、わたしの車はたいへん地味だ。どってことのない国産車なのだ。その名は・・・ナイショ、まだいえない。当たった人には担当編集者さんから1万円の商品券がプレゼントされます(うそ)。
 世間的には時価ナシだけれど、世間がなんだ、査定がなんだ。この車に乗るのは世間じゃなくわたし自身なのだ。わたしが愛しているかぎり大きな存在理由のある車なのだ。
 その愛車は、今日もまた修理工場に入院している。タイミングベルトの交換で、またしばらくは代車生活を送ることとなる。

 代車にはいつも決まって軽のボロいバンが用意されるの。最初はなんじゃこりゃーという気分であったが、これがボロいわりにキビキビ動く。甲斐甲斐しいその姿に、最近は少なからず憎からず。ああ、世間じゃあこうやって不倫に走っちゃうのかな。



uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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