これがすごいと思いました。

 皆さんからとてもよしくていただき、感激の粟島でした。
 
 それを本にするべくまとめているのでありますが、記事には載らないであろうところでも、とても印象深い場所があります。
 
 そのひとつが、廃校になった釜谷の分校です。
釜谷の集落の南端にありました。平成7年に廃校になったようです。
 
 正直言えば、芸術的とか牧歌的とか、そんな言葉の似合わぬ学校と思いました。ただ古く、ただ暗い、そんな雰囲気を感じました。
 
 戸を開けて入ると、ちょっと広めの板の間があります。
そこは体育館だったそうです。体育館だとすると、とても狭い場所です。卓球部の部屋くらいしかありません。
 
いや、でもこれで精いっぱいのスペースだったのです。
ここは、山の斜面に建っている学校なのです。ここまで平らなスペースを作るためにどれほどの苦労があったか。
 
 
 見えますか、奥にある黒板に書かれている文字。
 
 「轍(わだち)」と書かれています。
あと、連絡事項と落書き。
 
 きっと、廃校になったときのままで残っているのだと思います。
 
 
 だれにも消されず、ずっとそのまま。
 
 
 そっとそっと、そのままそっと。
 
 どう説明したらいいのかむずかしいのですが、この黒板を見て、粟島の人たちの優しさを感じたのでした。
 
 
  追記:
西輪キングさんからメールをいただきました。
この黒板、去年まではなかったそうです。
学校のどこかに置いてあったものを持ってきて、ここに置いたみたいですね。 二階にあったのでしょうか。連絡事項、みなさんよく守ってくださいね \(●⌒∇⌒●)/

uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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