もうひとつの「ディルーム」
家族っていいなあのPart3に「ディルーム」というエッセイがあります。
その元になったエッセイが、このもうひとつの「ディルーム」です。
さらにその元になった「ディルーム」もあるのですが、最終的にPart3のものに変わっていくんですね。
Part3を読めというのではありませんよ。
たしか、あのときはこんな季節に退院したんじゃないのかなって思って、急に懐かしくなったので、本邦初公開。未発表の「ディルーム」なんていうエッセイをブログに載せてみようなかと思ったのでありました。わたしがエッセイストになる前に書いていた作品(?)というのなんというのか、若いですね、文章が。ちなみに、当時は病院でタバコが喫えました。
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『ディルーム』
身重の妻への電話を終えて、この部屋に戻ってきたら泣いている母娘がいた。
初老の婦人とその娘は下を向いてハンカチを口にあてていた。娘が何か話そうとするのだが、泣き声になってしまい言葉に出来ないでいた。
僕はその母娘に面識はあったが、すぐに視線を逸し、自動販売機からコーラを買い椅子に腰掛けた。
テレビはナイター中継をしている。
この部屋の他の人達は泣いている母娘を無視して、めいめいに雑談したり、テレビのナイターを観戦したりしていた。
本当はこんな所で泣いていたら迷惑なことは彼女達も知っている。誰もの気が滅入っているのだから。
しかし、この建物の中ではあの母娘の泣ける所はここしかない。だからみんなが見て見ぬふりをする。
ナースが入ってきた。そして泣いている母娘のところへ行って一言二言ささやいた。二人はうなづいて彼女の後について部屋から出て行った。
僕は目だけで見送った。
僕の隣にいたテキ屋の鈴木さんが言った。
「駄目だったんだな」
「たぶんね」と僕は答えた。
「あの二人、Dさんの家族だよ」
「うん」
それ以上、何も言わなかった。一週間ばかりDさんの姿が見えないことは知っていた。
「駄目だったんだな」
「たぶんね」と僕は答えた。
「あの二人、Dさんの家族だよ」
「うん」
それ以上、何も言わなかった。一週間ばかりDさんの姿が見えないことは知っていた。
この部屋は『ディルーム』という名前がついている。どんな意味なのかナースも知らなかった。「さあ、日があたる部屋って意味なのかしらねえ」
彼女たちは、名前の意味を考えているほどヒマじゃない。
彼女たちは、名前の意味を考えているほどヒマじゃない。
椅子が十八、テーブルが四つ、灰皿が三つ置いてある二十畳程の部屋。たぶん灰皿は健康な見舞い客のために用意されているのだろうと思うが、入院患者も有効に利用しているようだった。
鈴木さんとも、ここで知り合った。
五時に出る夕飯を速攻で食べ、自動販売機から野菜ジュースを買いディルームに入ったら先客がいた。中年男がヤクルトを飲みながらタバコを喫っていた。
「どこが悪いんだい?」
それが最初の言葉だった。八十の爺さんみたいな声だった。まさか目の前の中年男の声じゃあるまいと思って声の主を探してしまった。
それが最初の言葉だった。八十の爺さんみたいな声だった。まさか目の前の中年男の声じゃあるまいと思って声の主を探してしまった。
「なあアンタ、どこが悪いんだい?」
こんどは動かしている口が見えた。
「えっと、ああ、胆のうがちょっとイカレまして」
こんどは動かしている口が見えた。
「えっと、ああ、胆のうがちょっとイカレまして」
「若いのに胆のうガンかい?」
「いや、ガンじゃなくって、胆のうの皮が厚くなっちゃったから切っちゃったんですね」
「そうか。そう聞かれているんだな」
「いや、ガンじゃなくって、胆のうの皮が厚くなっちゃったから切っちゃったんですね」
「そうか。そう聞かれているんだな」
どうもボクのことをガンだと決めつけているみたいだった。もっとも、病院の名前が「ガンセンター」だからガン患者がウロウロしているわけだけれど。ボクの場合は、前ガン症状というヤツで、本物のガン患者と比べればずいぶんと気楽なのだ。
「奥さん身重だよな。そんな病気なのに子供を作るなんて根性あるねえ。だいたいアンタ何歳だい。まだ若いんだろ」
臨月の女房が見舞いにくるとなにかと目立つ。まわりの人は、手術したボクのことには無頓着で、女房にばかりねぎらいの言葉をかける。
臨月の女房が見舞いにくるとなにかと目立つ。まわりの人は、手術したボクのことには無頓着で、女房にばかりねぎらいの言葉をかける。
「べつに根性入れて子供を作ったわけでもないですけどね、できちゃったんです。やっぱり楽しみですね。ああ、ボクは今年三十三才になるんです」
「どのくらい前から入院しているんだい。だいぶ前からいるみたいだな」
入院してい人間はみんな病人なわけで、病名から聞いていくのが無難な挨拶だった。年中快適な室温に保たれている建物の中で禁足処分を受けている僕たちに天気の話題は意味がない。見舞い客に教えられて、はじめて外に雨が降っていることを知るくらいなのだ。
「かれこれ一か月になりますね。胆のうを切って四日目に腹膜炎になってしまいましてね。それが傑作で、医者が盲腸とまちがって手術してみたら腹膜炎だったんですよ。脊髄麻酔で意識があるから、医者の慌てている様子がよーくわかりました」
「あははは」
本当は笑い事じゃないのだが、すぎてしまったことは笑うに限る。
「盲腸のつもりで手術したから応急手当しかできなくて、それからまた一週間後に再々手術になったんですわ」
「おりゃまあ難儀だなあ。で、盲腸も切ったんか?」
「せっかく腹を開けたのだから、ついでに切ってもらいましたよ」
「そういうときには手術費も割引になるのかいな」
「さあ?」
「値切らにゃダメだぞ」
「おりゃまあ難儀だなあ。で、盲腸も切ったんか?」
「せっかく腹を開けたのだから、ついでに切ってもらいましたよ」
「そういうときには手術費も割引になるのかいな」
「さあ?」
「値切らにゃダメだぞ」
「おたくさんは、なんの病気なんですか」
こんどはボクが聞く番だ。
「喉頭癌」
「ガンですか」
「そう」
「なのにタバコ喫ってもいいんですか」
「そりゃとうぜんよくないだろ」
「よくないですよね、やっぱり」
こんどはボクが聞く番だ。
「喉頭癌」
「ガンですか」
「そう」
「なのにタバコ喫ってもいいんですか」
「そりゃとうぜんよくないだろ」
「よくないですよね、やっぱり」
僕の、三度目の手術が終わったのは夜だった。目を開けた時、辺りは暗闇だった。ベッドのまわりをカーテンで仕切られ、天井しか見えない場所は恐かった。このまま死んじゃうんじゃないかと思えるくらい恐かった。口に当てられた不味い酸素を、生きるためだと思って一生懸命に吸った。このまま目をつむったら二度と開けられなくなるのじゃないかという恐怖に襲われていた。その日から夜がこなければいいと思うようになった。 それまでは夜って昼間よりも好きだったのに。
動けるようになってからの僕は、ディルームに入り浸るようになり、誰か他の患者と馬鹿話をしたり、テレビを見たり、本を読んだりすることで、恐怖を紛らわしていた。
夜中の三時に目が覚めて、もう眠れなくなってしまったときがあった。夜の九時に寝せられてしまうから、三時ごろ目覚めてもじゅうぶん睡眠が足りてしまっているのだ。
消灯十分前の時間を告げるチャイムを聞いた僕は、コーラの空缶を握りつぶして、塵箱に捨てた。一人、二人とディルームから出て行く。吸っていたタバコも短くなり、それをもみ消し、僕も立ち上がった。
「すまんが、立たせてくれないかなぁ。」
黄色い栄養点滴を胸につなげている老人が僕に言った。手を取って立たせてあげた。その手は意外と暖かだった。
黄色い栄養点滴を胸につなげている老人が僕に言った。手を取って立たせてあげた。その手は意外と暖かだった。
手を頭まであげて、老人は言った。
「あぁ、また夜が来た。部屋に戻って寝なけりゃならん。」
「あぁ、また夜が来た。部屋に戻って寝なけりゃならん。」
ため息が聞こえた。
少し考え、そして僕は精いっぱいの笑顔をつくって言った。
「大丈夫、すぐに眠れますよ。そしたら、じきに朝がきますから。明日またここで会いましょうよ」と。
「大丈夫、すぐに眠れますよ。そしたら、じきに朝がきますから。明日またここで会いましょうよ」と。
老人は、にこりと笑い、僕の顔を見て、うなづいた。
僕もつられて、にこりと笑った。
終わり
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いつのまにか「鈴木さんの存在はナンだったんだい?」ってなってますね。
まあ、シロウト時代のものですから ゆるしてください。
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