わたしのねがい
「わたしのねがい」
エッセイスト 藤田市男
これまで子どもの話を中心にしたエッセイが多かったからでしょうか、講演会などで「子育てエッセイスト」として紹介していただくことがあります。
でも、そのたびに申しわけなく思います。そういう方面の勉強もしていないわたしのようなシロウトが、子育てについて語ったり書いたりしていいものかどうか。娘と息子、たった二人の子のことしか知らないわたしが、人さまに子育てなどを語る資格はあるのだろうかと自問するのです。その答えはまだ出ていません。そんなわけですから、とりあえずこれから先はわたしの独り言と思って読んでいただければ幸いです。
いまから二十数年前、予定日まで二週間あるときに重度の妊娠中毒症になった妻は、命がけで娘を生みました。娘も命がけで生まれました。
「よかったよかった」と娘の手をとりウルウルしていたときに、「どんなお子さんになってもらいたいの?」と、年長の助産師さんがニッコリ笑顔で話しかけてくれました。
生まれたばかりの娘は、まだとても頼りない命でした。華奢な首、細い腕、ちいさな手。すべてを親に委ね、まだ一人では生きていけないその命。
助産師さんの問いに、わたしはただ「幸せになってもらいたい」という言葉しか浮かびませんでした。
「この子をずっと守っていこう。この子のこの先に予定されている苦しみや悲しみがあるのならば、どうかわたしに全部ください」と、神さまに祈りました。
いま娘はお年頃です。いつお嫁にいくかわかりません。娘がお嫁にいくときは、「オレはその日カゼをひいて結婚式を休んじゃうからね」と妻に言ってます。妻は「またバカなことを」と笑っていますが、わたしは本気です。最初から最後まで泣きっぱなしの姿を見られたら恥ずかしいですから。
さて、娘のことを書いたら息子のことも書いておかないといけませんね。「フジタさんは娘さんのことばかり書いているけれど、息子さんはどうなっているのですか」と言われることがありますので。最初に出したエッセイ集「父はなくとも」の中には息子の話をいっぱい書いていたのですが、最近はご無沙汰かもしれません。
つづく・・・
ちなみにこれを書いたのは三年前です。いまはもう、娘が結婚しようと終始呵々大笑い・・・って、それもへんかな(=´▽`)ゞ
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