被災地への旅




●被災地への旅

 (平成23年9月14日)


 


 東日本大震災の被災地にいってこようと思った。


 


 警察や自衛隊、消防署の活躍は連日報道されて知っていたが、消防団はその陰にかくれて、あまり注目されていなかったように思えた。実際は、地元をよく知る消防団員が、自衛隊に瓦礫の中の道案内(ここに道があるとか、川があるとか)をしたり、遺体の収容などをしていたのだ。


 


 それで、地元新潟市の江南消防署で石巻の分団長さんを紹介してもらい、また知人を通じて陸前高田の部長さんのことを教えてもらった。


 


 平成23年9月14日、4時13分にこそっと起床。妻はまだ寝ている。勤めにいかねばならぬ平日である。わたしが出かける直前まで起さないようにしよう。

 


 ゴハンはまだ炊けてないので、ちいさなブドウパンを三個食べた。あとはコーヒーを一杯。




 5時15分。そろそろ妻の目覚ましが鳴る時間だ。それに合わせ妻に声をかけて出発した。



 新津ICより乗る。進行方向右側に丸い月が出ていた。カーナビが「126キロ道なりです」と言った。次の分岐点まで126キロ。




 


 菅生南で高速を降りた。海岸沿いの道を走りながら、街の異様な雰囲気を感じていた。本物の戦場は見たことがないが、そこはまるで爆弾が落ちたように破壊された建物や、焼けてひしゃげた車があった。


 


 石巻に着き、海に向かって車を走らせた。あちこちに見えるのは震災の・・・わたしの想像を越えていた傷あと。


 


 「なんだこれは、なんだこれは」と、つぶやいていたわたしだった。


 


 瓦礫の山。


 燃えた学校。


 倒れた墓。


 壊れた病院。


 水の中の薬局。


 積みあげられた無数の車。






 車をとめて、外に出てみた。


 海も空もすっきりと青い。


 しかし、あれから半年過ぎているのに、風は濁った臭いを運んでくる。汚れた水を大量に吸ってしまった木と紙と大地から出てくる臭いだ。



 そこは巨大な質量を持つ粘着質の魔物が通りすぎていったような異様な世界。その魔物の通り道にあったところに建っていた立体的なものは、根こそぎ倒されて破壊されていた。わたしの心は、だんだんと沈んでいった。


 


 目の前にある家の跡とおぼしきところがある。あの日以前は、そこにはたしかに人がいた。


 わたしの立っているこの足元で、あの日誰かが命を落したかもしれない。


 


 わたしはこの取材でなにをしようとしているのだろうか。


 最初は現地でがんばっている消防団の姿をレポートしてこようなどと思っていた。しかし、現実の世界を見て、わたしの心の浅ましさを知った。大義名分を掲げていはいるが、それは誰かのためになんかじゃない。ただ自分のためにやっているのだ。わたしは取材という名目をつけ、震災で苦しんでいる人たちを相手に、世間に売れる本を作ろうと思っていただけではないのか。



 「消防団の立派な活動を世間に知らせよう」なんて言葉は、現地の苦しみを想像しきれなかったからこそ出てきたのだ。この場に立ってみれば、この場の空気を吸ってみれば、ここにいる人たちには「立派」だの「活動」だの「世間」だのなどと考えていられないことが、たやすくわかる。わたしのような心でその場にいることは、とても失礼なことだと思った。そして、この本は、もうやめたほうがいいのではないかとさえ思った。







 「オレたち消防団!」新潟日報事業社より


uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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