消防団の本能


 石巻消防団 石巻第二分団


 石巻市役所・消防団団長室にて。

 


 石巻消防団団長の門脇政喜さんも同席してくださった。




 石巻第二分団分団長濱谷勝美さん。


和菓子づくりの店を経営 しかし、震災ですべてを失った。


 


 濱谷さんは、自宅で震災に遭遇。


その5分後に、3人の部下団員が消防積載車で迎えにきて出動した。


 無線で刻々と情報が入る。最初、津波の高さは3メートルと言われていたが、その後6メートルに訂正された。最終的には10メートルという情報に変わった。


 


 旧北上川沿いを走っているとき、そこにあふれてくる水を確認。その勢いがすさまじく「すぐに避難するように」と必死に広報をしつつ門脇小学校に到着した。

 


 駐車場はすでにたくさんの車で満杯状態となっていた。その近くに降車し現状確認。


 そのとき、バリバリと音をたて、すごい勢いで海から黒いカタマリがやってきた。その正体は、壊れた家やその瓦礫だった。地上にあるものすべてを破壊し迫ってくる。


 


 その場に止まっていては危険と判断し、濱谷さんは学校に向かって走った。


 


 体育館に逃げるが、すぐに腰のあたりまで水がきた。そこは少し高台にあったというのに、もうそんな状態だった。


 


 校庭に停めてあったたくさんの車も浮かびあがり、ガツガツとぶつかり合いながら校舎に向かってきた。


 


 爆発音がして、火柱があがった。


 車から出た火花が、ガソリンに引火した。


 火が学校に迫る。


 


 「恐い」とは思っていなかった。ただ無我夢中で「どうやってみんなを助け出すか!」「どうやったら生き延びることができるか!」と、それだけを考えていた。


 


 その体育館で、右足が腿のあたりから千切れてしまった婦人を救助した。駐車場から脱出するとき、津波で浮いて暴れる車と瓦礫に足をはさまれてしまったようだ。濱谷さんたちは、止血のために防火服のベルトを抜き、それをしっかりと婦人の足に結び抱きかかえて逃げた。


 


 学校の裏山に避難しようと思った。しかし、学校の壁と裏山の石垣まで、距離は1メートルほどなのだが、高さは3、4メートルもある。とてもよじ登れない。

 


 その左のほうにやや低くなっている場所があり、そこまでまわり道をし、竹に伝わり這いあがった。負傷した女性を安全な施設に避難させ、濱谷さんたちはまだ逃げきれないでいる人を救助するために、再び戻った。




 すでに、校舎に火が燃え移っていた。降る雪が炎に照らされて光っていた。


 


 石垣の上に教壇が二つあったのを見つけた。誰かが学校の窓から石垣に向けて投げ込んでくれていたようだ。


 


 それを蹴落として石垣を登るための階段にした。あたりにいる動ける人を呼び集め、学校から逃げてくる人のお尻を下から押す役と、その手を上から引っ張りあげる人との連携プレーで安全な石垣の上に避難させた。


 


 石垣の上にあがったところで力尽き、自力で上の避難場所まで逃げられなくなっている人たちがいた。濱谷さんたちは、そんな人たちを背負って石の階段を何回も往復した。


 


 瓦礫の上で救助を求める人の声がした。火はどんどん広がっている。またいつ爆発が起るかわからない状況での救助活動だ。その人を助け出すことはできたが、瓦礫の中にもまだ人がいるだろうとは想像できた。しかし、どうにもならない。時間がない。助けきれない。


 


 大勢の人を助けた。しかし、救えなかった人も大勢いた。どうしょうもない現実に苦しんだ。無念でせつなかった。

 




 


 震災の日から濱谷さんたち消防団員は、避難所で生活しながら、3月いっぱいまで集中して警備と救助活動と遺体捜索を続けた。


 


 なお、この話を聞かせてもらっているときに同席してくださった門脇団長さんも、震災のあとから市役所の団長室に寝泊まりし各分団の被災の情報を集約し、また必要な情報を無線で提供して、各分団への行動の指示を出し続けた人だ。

 


 じつは、団長さんの家も震災で壊滅状態となっていた。それでありながら、市民のため、団員の安全のためにと奔走していた。まさに消防団の本能。同じ消防団として誇りに思うと同時に、そのせつなさを思って、心が苦しくなる。




 「オレたち消防団!」新潟日報事業社より



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 いま、消防団の本の続編を書いています。

Facebookにも消防団の集まりがあり、そこの仲間に入れてもらいました。


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