毒入り注意:残り少ないからこそ

 今日のブログ、ちょっと毒入りです。ご注意ください。 





 予定どおり、本日の午後、父を退院させることができました。

 ここまでくるのに、皆様の応援やアドバイスがあり、ほんとうに助かりました。



 要介護2という不自由な体のままではありますが、それでも重荷が一つ取れたと思います。



 現実的に、この世の残り時間がそれほど多くはない父ですから(母もそうですけど)、できるだけ不自由のない状態でいてもらいたいと思います。



 しかし、これで万が一父の状態がよくならなかったとしても、父はちゃんと治療してもらっての結果だからと受けとめることができたはずです。



 こうして戻ってこれたのは、現代の医学によるところが大きいと思っています。

 これが昭和の時代でしたら、もっとハードな手術になったことでしょう。体力的に、老いた父にはできない治療だったでしょう。今の時代でこのような状態になったことは幸運でした。



 そして、本当に幸運だったのは、その医学を使って父を治療してくれる病院があったということです。



 何度かぼかして書いていましたが、その病院にたどり着くまでが大変でした。それまで父は、これといった診察も治療もしてもらえず、ただ尿道に管を入れられ「これで一生いてください」と言われていたのですから。それも二つの病院で。



  同じようなことをまた書くのもナンですので、よかったら前のブログを読んでいただければと思います。



 しかし、読み返してみたら腹立ってきました。→前のブログ  あのときわたしは、診察室で大きな声を出したい衝動を堪えていました。



 それまでも頻尿ではありましたが、それでも自力でトイレに行っていた父でした。それが転んで入院し、怪我のためにトイレに行けないので尿管カテーテルをしばらく入れ、それを抜いたときにオシッコが出なかったということで、再度の尿管カテーテル。それからずっと入りっきりでした。



 手が不自由な父は、自分で畜尿バックを開けることができず、それからは人の世話にならなければトイレに行くことができなくなりました。



 「もうトシなんだから、そのまま一生いてください」 

 「ほかの病院にいっても、手術はしてもらえないでしょう」



 ・・・お医者さんの話は素直に聞くタイプのわたしですが、これはどうにも納得できませんでした。



 残り時間が少ないからこそ、その残った時間をできるだけ不具合をなくしたいと思うのですが、それはワガママでしょうか。





 今回、多くの人に励ましの言葉やアドバイスをいただきました。

 そして、ちゃんと治療をしてくれる病院がありました。検査もなく「とにかく一生このまんまです!」なんて言わない病院がありました。



 声が大きく元気で優しい先生に出会いました。そして、父を手術し治療してくれました。



 いえ、誤解のないように書いておきます。

 これまでわたしが出会ってきたお医者さんは、優しく患者のことを考えてくれる人ばかりでした。よい先生のほうが圧倒的に多かったです。



 それが今回は納得できない扱いが続いてしまい、このような、人によっては読むのも不愉快なブログをあげてしまうことになりました。



 書かずにメデタシメデタシで終わろうかとも思いましたが・・・心の弱った病人は、お医者さんの言葉に敏感になりました。



 トシだから、ムリだから、チホウだからと言われてしまい、父の心は死にかけました。



 それでもまた生き返ってくることができました。



 ああ、そうですね、

 やっぱり「メデタシメデタシ」で終わりましたね。



 よかったです。

 ありがとうございました。






uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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