今日は忘れなくていい日だ

 今日は雨が唐突に降る日だ。

 ちょっと油断して外に出ると、遠くから雨の音が近づいてきて、あっというまにずぶ濡れになる。





 2年前の今日は、雪が降っていた。





 その日の朝の7時にハチは死んだ。



 わたしは「ハチ、ハチ、ハチ」と小さく呼びながら、死にゆくハチの体を撫でていた。



 息がとまった・・・



 それでも顔をあげようとしたハチ。



 もういいよ、もういいよ、ハチ。

 がんばったんだから、もういいよ。楽になろうよ、ハチ。





 そして、動かなくなったハチ。

 命が消えた。



 妻も娘も泣いた。





 ハチを抱っこして箱に入れた。



 白い布を被せて、仏壇の前に置いた。



 ハチはかわいい顔をしていた。

 この数日間の顔とはちがって、苦しみのない、元気なときのハチの穏やかな寝顔だった。



 わたしは、そのまま講演会に行った。

 声を出して泣いていたわけじゃないのに、声が涸れていた。



 いつもの調子で話ができず、お客様には迷惑をかけた。



 スミマセン。

 16年一緒にいた犬が、今朝の7時に死んじゃったんです。

 聞かれもしないのに、話していた。



 家に戻って、またハチのところにいった。

 冷たくなっていたハチの顔を撫でた。





 その日の午後、書評の依頼がメールで届いた。

 タイトルは「犬から聞いた素敵な話」。

 新潟出身の山口花さんの書評依頼だった。



 どうしてハチを失ったその日に、こんなせつない仕事がくるのだろう。

 いまは、犬の本なんて読みたくなかった。



 しかし、それもハチの心だと思った。

 ハチが「おとうさん、あんまり泣かないでね」と与えてくれた仕事だと思った。





 書き終えて、ハチに「ありがとう」と伝えた。



 悲しみは、悲しみのままでいい。

 あの悲しさを忘れずに、ずっと覚えていればいいと思った日だった。



   ハチのこと




uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

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